昔のカラオケ その2
2008.07.03.Thu.23:49


■ カラオケと言う言葉 ■
「生伴奏なし」と同義で、「カラオケね」は「伴奏なしでやろう」という意味だった。
放送業界が生放送する場合、伴奏へ多くの注意や経費を払わなくて良いので重宝された。
放送業界用語であり、この意味のカラオケはいまでも使われている。
■ 井上大佑によるカラオケシステムの発明 ■

最初のカラオケというサービスの考え方とそれを実現する装置が1971年に井上大佑(いのうえ だいすけ)という一人のバンドマンによって発明された。井上は既存の楽曲を単に再生するだけでなく、バンドマンには当然の発想である歌う人に合わせた音階やテンポという概念をシステムとして実現し、再生装置は「8Juke(エイトジューク)」と名づけられ、リースで販売した。
井上は弾き語り、なじみの客から「社員旅行で使いたいので、伴奏だけを入れたテープ(=カラオケテープ)を作って欲しい」と依頼された。彼は依頼主にあわせてキーを移調し、テンポも変えていた。そしてそこから潜在的な需要に気づいた。そこで8トラックのカラオケテープを作り、コインボックス式の再生装置に入れて、スナックなどに置くこととした。このときのテープ内容は8トラックテープ1本に付き4曲10本で計40曲で、当時の料金は5分で100円だった。
8トラックのテープを使い、また曲にアレンジを加えて長さを調整することで、1本のテープに何曲も入れることができ、また、できるだけ早く頭出しが出来るようになっていた。1曲は3~4分になるように調整されており、1曲目を気分よく歌ったあと、2曲目の途中で次のコインを投入する必要が出てくるため、客はついつい100円玉を景気よく使ってしまう……というパターンが生まれた。
また、カラオケというビジネスモデルが成功した理由のひとつとして、このときリースを導入したことが挙げられる。新譜が次々と出る状況で毎回テープを購入していては店が大変だろうという配慮からと言われているが、それが今日に続く隆盛の原動力の一つとなった。
■ 井上大佑 ■
井上大佑(いのうえ だいすけ、1940年5月10日 - )はカラオケの発明者。
本名・井上裕輔。大阪府大阪市生まれ。
浪速工業高等学校(現・星翔高等学校)電気科卒業。
イグノーベル平和賞受賞者。
なお、カラオケの特許をとっていない。
とっていれば兆単位の使用料収入を得られたともいわれる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より
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