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Blind Willie Johnson

2012.01.10.Tue.00:16
何時聴いてもエエですわ~。声にしてもギターにしても惹き込まれます。
ちょこちょこ練習してますがとても真似できるものではないですなぁ。

ブラインド・ウィリー・ジョンソンは、1902年か'03年にテキサス州テンプルの郊外で生まれた。まだ、赤ん坊の時、父親とマーリンに引っ越した。父親のジョージ・ジョンスンは農場主で、当時のテキサスのその辺りでは、農場主という事は共同経営していたという事のようである。

ジョージは息子のウィリーを説教師にしたかったようだ。それで葉巻箱を手に入れ、それを用いて ウィリーにギターを作ってやった。それからジョージは、ウィリーの母親が死んだ後、別の女性と結婚した。しかし、その女性が別の男と出来てしまい、それをウィリーに見られなくするためにウィリーの目にアルカリ溶液をひっかけ失明させる。

ジョージは 1910年代、マーリンにウィリーを残し、そこから南方に35マイル離れた ハーンという町にある煉瓦製造所に働きに出ていた。しかし、それは子供のウィリーにとって寂しいものであったようだ。そのため ウィリーは 毎週土曜日、ジョージに会いにハーンに出かけ、その街頭に出てはギターを弾きながら歌い、皆はそれを聴いて金を置いていったという。こうして、ウィリーのミュージシャンとしてのキャリアがスタートしていった。



ウィリーのレコーディング活動が始まったのは、1927年の12月に、コロンビアへの吹き込みを行うために、ダラスのスタジオに入った時の事だった。ウィリーのレコードの売上は上々で、当時のコロンビアに契約していたアーティストの中では、売れっ子になっていた。それから、1930年まで 毎年コンスタントにレコーディングを残している。

ブラインド・ウィリー・ジョンソンはゴスペル音楽界の先駆的存在であり、その名前はスライド・ギター弾きたちやブルース・ファンたちから一様に畏敬の念とともに語られる。彼は厳密に言えばブルースマンではなかった。歌詞の内容は酒や女ではなく救済や聖書のことを歌い、曲は典型的なブルースの形式を避けた。

ペンタトニック・スケールを使った、あふれんばかりの歓喜に満ちたメジャー調のメロディと、同様に印象的なマイナー調の作品を交互に演奏し、低音の効いたしわがれ声で歌い、それがごくたまにより心地よい中音域の声になるのだった。

彼のライヴ・パフォーマンスには時おり女性ヴォーカリストが参加していたが、たいていはソロで行われ、低音弦中心のフィンガー・ピッキングと正確なスライド奏法を織り交ぜたバッキング・ギターも自分で弾いた。

彼が生涯を通じてレコーディングした作品は全部あわせても時間にしてせいぜい90分そこそこであるが、その残された作品を聴くといかに頑なな悲観論者でさえも心を開かざるを得ないような無垢な魂と慎ましやかな精神が込められている。


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