Blues の歴史 6
2008.04.26.Sat.23:57
ブルースの誕生 2

奴隷解放後、求職難に苦しんだのは黒人の男性であった。
女性はたやすく女中の職が見つかるが、男は農業労働のほかに技術がないのである。
職を求める移動労働者の数は南部だけでも何千人もいた。
激しい生存競争のなか給料を稼ぎ、生きていかねばならないという意識は
その音楽の内容を一変する。
ブルーズ化が進むと歌い手自身の経験を語る形式をとり、訴えるのは個人の生活体験、苦難や成功である。アメリカ社会の思想の影響下に生まれたものだが、この自我は、あくまで黒人の自我であり、個人の体験の内奥から激発する鮮烈な自我の個性なのである。
ブルースの詩型とある種の技巧は定型化され標準化されたが、歌い方そのものは全く歌手の好みのままで歌われた。歌手の個性的な歌い方が無ければ、そのブルースは他人の模倣で、創作品としての価値が認められなかったのである。
ブラインドレイモン「の」ブルース、ウィリィ・ジョンソン「の」ブルースなどのように歌い手名で呼ばれるブルース作品が生まれた。
ブルースの形式は無意識に働くだけで、歌い手(作り手)はただ思うがままに歌い・作り、形式に束縛される感じを全く受けなかった。とくに初期のブルースはその場限りの即興に任せ・座興に任せて作る楽しみの歌といった傾向が濃厚である。
ブルースの別の特徴は、楽器の伴奏を用いる点である。ワークソング等の労働時には手で楽器が使えないわけで、アカペラで歌うだけである。
特にギターはその音域や音色が歌い手に制限をかけることになったであろうし、逆にギターそのものも変化を蒙った。正規のクラシック・ギターではなく、むしろアフリカ楽器のバンジョーに似ていたので、それが人声に似た音やアフリカ特有の音色や和音を出すように変えられたのである。
ブルース自体の発生の起源を突き止めることが不可能なのは、ブルースが一つの独立した音楽形式と定義されているからである。この定義が、このユニークなパターンが生まれた瞬間がいつだったのかを特定することを不可能にしている。

奴隷解放後、求職難に苦しんだのは黒人の男性であった。
女性はたやすく女中の職が見つかるが、男は農業労働のほかに技術がないのである。
職を求める移動労働者の数は南部だけでも何千人もいた。
激しい生存競争のなか給料を稼ぎ、生きていかねばならないという意識は
その音楽の内容を一変する。
ブルーズ化が進むと歌い手自身の経験を語る形式をとり、訴えるのは個人の生活体験、苦難や成功である。アメリカ社会の思想の影響下に生まれたものだが、この自我は、あくまで黒人の自我であり、個人の体験の内奥から激発する鮮烈な自我の個性なのである。
ブルースの詩型とある種の技巧は定型化され標準化されたが、歌い方そのものは全く歌手の好みのままで歌われた。歌手の個性的な歌い方が無ければ、そのブルースは他人の模倣で、創作品としての価値が認められなかったのである。
ブラインドレイモン「の」ブルース、ウィリィ・ジョンソン「の」ブルースなどのように歌い手名で呼ばれるブルース作品が生まれた。
ブルースの形式は無意識に働くだけで、歌い手(作り手)はただ思うがままに歌い・作り、形式に束縛される感じを全く受けなかった。とくに初期のブルースはその場限りの即興に任せ・座興に任せて作る楽しみの歌といった傾向が濃厚である。
ブルースの別の特徴は、楽器の伴奏を用いる点である。ワークソング等の労働時には手で楽器が使えないわけで、アカペラで歌うだけである。
特にギターはその音域や音色が歌い手に制限をかけることになったであろうし、逆にギターそのものも変化を蒙った。正規のクラシック・ギターではなく、むしろアフリカ楽器のバンジョーに似ていたので、それが人声に似た音やアフリカ特有の音色や和音を出すように変えられたのである。
ブルース自体の発生の起源を突き止めることが不可能なのは、ブルースが一つの独立した音楽形式と定義されているからである。この定義が、このユニークなパターンが生まれた瞬間がいつだったのかを特定することを不可能にしている。
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