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「誰が音楽をタダにした?」

2016.12.31.Sat.00:18
『誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち』
スティーヴン・ウィット著/関 美和訳

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単行本(ソフトカバー): 365ページ
出版社: 早川書房
発売日: 2016/9/21


内容紹介
「なんでこのことを今まで誰にも話さなかったんだ?」
「あぁ、だって聞かれなかったから」

田舎の工場で発売前のCDを盗んでいた労働者、
mp3を発明したオタク技術者、
業界を牛耳る大手レコード会社のCEO。
CDが売れない時代を作った張本人たちの
強欲と悪知恵、才能と友情の物語がいま明らかになる。

<年間ベストブックに選出>
FT、ワシントン・ポスト、タイム、フォーブス他
<各賞の最終候補作入り>
FTベストビジネス書、LAタイムズ・ブック・プライズ

「すでに知っている話だと思うなかれ」――NYタイムズ
「まるでスリラー小説のように読ませる」――テレグラフ

著者紹介
スティーヴン・ウィット Stephen Witt
1979年生まれ。ジャーナリスト。シカゴ大学卒、コロンビア大学ジャーナリズムスクール修了。シカゴおよびニューヨークのヘッジファンドで働いたほか、東アフリカの経済開発に携わる。『ニューヨーカー』誌などに寄稿。

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「DIAMOND online 2016年12月26日」 の記事に詳し過ぎる内容が掲載されてましたので転載致します。 まぁ、何が良くて何が悪いかというより、結局は所詮そんなモノって感じでもあるし、音楽著作権ってモノが金を生む道具となっているだけって事でしょうかねぇ。 音楽をされている方は読まなあきませんな! (´Д`)


音楽がタダになった3つの理由
DIAMOND online 2016年12月26日

要約者レビュー

いつから音楽は無料になったのか。日本の場合、WinMxやWinnyの登場あたりからという答えになるだろうし、アメリカにおいては、多くの人がナップスター以降と答えることだろう。だが、そもそもそういったファイル共有サイトが立ち上がる前から、音楽ファイルはインターネット上を漂っていた。

ファイル共有サイトのヘビーユーザーであった著者は、それらが一体どこから来たものなのか、突き止めたいという衝動に駆られた。その結果、生まれたのが本書『誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち』だ。著者は、音楽がタダになった理由として、(1)音楽の圧縮技術の向上、(2)音楽リークグループの出現、そして(3)広告収入という新しいモデルの登場を挙げている。この3つの物語が混じり合い、いくつもの謎解きと冒険が錯綜する本書は、まるでアドベンチャー小説のようですらある。すでに映画化も決まっているという話にも納得だ。

また本書には、90年代からゼロ年代のアメリカの主要アーティストたちの名前が次々と出てくる。音楽ファン以外が読んでも間違いなく面白い1冊だが、洋楽(特にラップ)ファンだと、ニヤリとさせられる場面も多いだろう。

CDが売れなくなった時代において、音楽産業ははたしてどこに向かおうとしているのか、そしてなぜそこに向かわなければならなくなったのか。本書を読んでいけば、その答えの一端が見えてくるはずだ。 (石渡 翔)

本書の要点

・mp3は技術的にすぐれていたものの、長い間mp2の後塵を拝していた。しかし、一般消費者がmp3ファイルを気軽に作れるようになったことで、mp3は音楽の新しい流通方式を生みだした。
・ほとんどすべての話題のアルバムをネット上に流出させたのは、たった1人の男だった。彼の最初の目的はカネだったが、最後はリーク活動そのものに取り憑かれていた。
・ファイル共有がメジャーになったことで、音楽業界は大きく低迷していた。その結果、広告収入によって利益を生み出すというビジネスモデルが生まれた。

要約本文

◆第1の要因:mp3の登場
◇mp3はこうして生まれた

音楽がタダになった大きな要因の1つが、mp3の登場だ。もともと音楽CDは、1秒のステレオサウンドの保存に140万ビット以上も使っていた。そこで、当時大学院生だったカールハインツ・ブランデンブルクは、人間の耳で実際に聞き取れるだけのビット数だけを確保することで、できるかぎり音質を保ちながらファイルを圧縮するという研究を行い、特許を取得した。業績を認められたブランデンブルクは、公的研究機関から、最先端のスーパーコンピュータやハイエンドの音響機器、著作権の専門家、そしてすぐれたエンジニア人材を与えられた。

1990年のはじめになると、ほぼ完成品といえるものができあがった。勢いに乗るブランデンブルクたちは、MPEG(動画専門家グループ)の主催するコンテストへの参加を決めた。このコンテストは、これからの時代の標準規格を設定することを目的にしたもので、14のグループが参加していた。結果、ブランデンブルクたちのグループが首位になったのだが、MUSICAMというグループもほぼ同点につけていた。そのため数カ月後、MPEGは複数の規格を承認するという方針を固め、ブランデンブルクたちもそれに従った。そしてMUSICAMの方式はmp2、ブランデンブルクの方式はmp3と呼ばれるようになった。

◇敗北続きのmp3

mp3のほうがmp2よりも技術的にすぐれていたが、mp2は知名度が高く、フィリップスという資金力豊富な企業からの支援があった。mp2が、デジタルFMラジオ、インタラクティブCD―ROM、DVDの前身であるビデオCD、デジタルオーディオテープ、無線HDTV放送のサウンドトラックの規格として選ばれた一方で、mp3はどこからも選ばれなかった。

mp3への主な批判は、音質のわりに処理能力がかかりすぎるというものだった。ただ、これは当初の規約に、MUSICAMの定めたルールに従うことが盛り込まれていたのが原因だった。フィリップスは、非効率な方式を押しつけることで、mp3を蹴落とそうと画策したのである。さらに、mp3へのネガティブキャンペーンも積極的に展開された。

それでも、ブランデンブルクのチームは懸命に状況を改善しようと試みた。この献身が実を結び、1994年までに、mp3は圧縮スピードでmp2にほんの少し劣るものの、mp2よりはるかに音質がすぐれた規格となった。だが、それでもmp3はmp2に負けつづけた。

◇新しい音楽のかたち

最初にmp3の価値を見出したのは、テロス・システムズというスタートアップ企業だった。mp2とmp3を聴き比べ、mp3のほうが断然良いと判断したテロスは、mp3をナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)にライセンスし、その後も北米のあらゆるスポーツリーグに売り込んでいった。それでも、ブランデンブルクたちの取り分はわずかだった。

ブランデンブルクたちは、家庭用のユーザーにmp3を売り込むため、パソコン向けのmp3ファイルの圧縮と再生アプリケーション「L3enc」を開発した。これにより、一般消費者は、自分でmp3ファイルを作り、家庭用パソコンで再生することができるようになった。L3encの登場は、これからの音楽の新しい流通方式を示唆していた。

◆第2の要因:音楽リークグループの出現
◇音楽の不正コピーという「文化」

音楽がタダになった第2の要因は、インターネット上で発売前のアルバムをリークする秘密組織の存在だ。そのうちの1人が、ほとんどすべての話題のアルバムの流出源になっていた。それが、アメリカ南部のCD製造工場に勤務していたベニー・ライデル・グローバーである。

グローバーは、コンピュータに魅せられており、特にインターネット・リレー・チャット(IRC)にどっぷりハマっていた。そこには多くの海賊ソフトが転がっており、自由にダウンロードすることができた。彼らの文化は「ウェアーズ・シーン」あるいは「シーン」と呼ばれ、誰が海賊版をいちばん先に出せるか競い合っていた。特に、発売前の海賊版を定期的に入手できるメンバーは憧れの存在となり、デジタル海賊界で「エリート」として扱われた。

彼らはmp3というテクノロジーを賞賛していた。それまでは、wavでしか音楽を送れなかったため、ファイルサイズの大きさが問題となっていた。しかしmp3という圧縮フォーマットが出現したことで、たやすく音楽ファイルの不正コピーができるようになった。最初のデジタル海賊音楽グループコンプレス・ザ・オーディオ(CDA)が登場すると、すぐに数多くのライバルグループが現れ、無数の違法音楽ファイルがばらまかれた。90年代の音楽の不正コピーは、60年代のドラッグ文化にも匹敵する現象となっていた。

◇最強タッグの誕生

グローバーはインターネット上からネタを調達し、ゲームやPCソフト、mp3ファイル、映画など、ディスクに焼けるものはなんでも手に入れ、それらを売ることで小銭を稼いだ。ただ、最初は工場からCDを盗んで売るようなことは考えなかった。危険すぎたからだ。

だが、フィリップスが、ユニバーサル・ミュージックに工場を売却したことで、ジェイ・Z、エミネム、ドクター・ドレ、キャッシュ・マネーといった著名なラップ・アーティストのアルバムが、グローバーの勤務する工場で包装されることになった。そしてグローバーはラップが大の好物だった。

従業員のうち、選ばれたメンバーだけで構成される窃盗仲間に、グローバーも買い手として加わった。そして、同僚のツテを通じて、シーンのなかでも精鋭が集まるエリートグループであるラビット・ニューロシス(RNS)に招待された。RNSは1曲ずつコピーするのではなく、アルバムごと盗み、公式の発売日前に音楽をネットに流すことを目標にしていた集団で、「カリ」と名乗るリーダー格の男は、ユニバーサルの音源を入手する経路を求めていた。

かくして、グローバーは世界で最も大きい流出グループの一員になった。グローバーはあらゆるファイルにアクセスすることができるようになった。そしてこの特権を目いっぱい利用して、海賊版映画を売りさばいた。RNSもまた、グローバーの加入により、歴史上もっとも成功した音楽リーク集団にまで成長した。

◇シーンの終焉

だが、当然のことながら、RNSのメンバーも大人になっていく。1996年にシーンが始まった頃、参加者の多くは10代だった。しかし2006年になると、彼らも三十路にさしかかり、当初のようなワクワク感は消えていた。グローバー自身も引退を考えていた。いちばん大事なものは家族との生活であり、それを失いたくなかった。また、トレントサイトが流行したことで、誰でもコンテンツを簡単に入手できるようになっていた。グローバーのコネにはもうなんの強みもなく、海賊版DVDからの収入も落ち込んでいた。

カリも同じ気持ちだった。シーンの魅力はすでに薄れていたし、警察に捕まることも避けたかった。11年にわたって2万曲をリークしたRNSは、2007年1月19日、フォール・アウト・ボーイの「インフィニティ・オン・ハイ」のリークを最後に解散した。

だが、グローバーもカリも結局、足を洗うことができなかった。RNSが消えた数カ月後、彼らは極秘でリーク活動を再開した。もはや動機は、カネやオンライン仲間からの賞賛ですらなかった。2人はリーク活動そのものに取りつかれていた。たとえその先に待ち受けているものが破滅なのだとしても。

【必読ポイント!】

◆第3の要因:広告収入という金塊
◇仕掛け人ダグ・モリス

音楽がタダになった第3の理由は、広告収入という新しい「金塊」が見つかったからだ。その仕掛け人であるダグ・モリスはもともと、ワーナー・ミュージック・グループで北米を統括し、その後はユニバーサル・ミュージック・グループ(UMG)を業界1位まで押し上げた人物である。モリスの特筆すべき戦略は、自分や専門家の感性に頼ることなく、徹底して市場調査を信頼することだ。市場調査の結果から、ラップが流行するといち早く気づいていたモリスは、アメリカのラップ市場を支配した。そして歴史上もっとも力のある音楽エグゼクティブとして名を馳せるようになった。

◇ナップスターの登場

1999年6月、繁栄を極めていた音楽業界を急変させる出来事が起きた。ナップスターという新しいソフトウェアが開発されたのだ。ナップスターとは、ピア・ツー・ピア(P2P)と呼ばれるファイル共有サービスだ。ユーザーたちはタダでお互いのmp3ファイルの交換ができるようになり、2000年のはじめには、2000万人近くのユーザーを抱えるほどの人気を博した。

それでも、2000年頃のCD売上は史上最高を記録し、UMGは業界の先頭に立っていた。業界ウォッチャーのなかには、違法コピーが業界の売上に貢献していると考える人すらいたほどだ。だが、タダで手に入って何度でも自由に再生でき、音質も劣化しないのであれば、同じものにもう一度カネを出して買うわけがない。

ナップスターのファイル共有がCD売上を押し上げたのは、mp3を再生できる携帯型音楽プレイヤーがまだ普及していなかったからだ。つまり、音質のいいmp3プレイヤーが登場してしまえば、CDという規格は、もはや無用の長物となってしまう。結局、音楽業界は裁判でナップスターには勝利したものの、携帯型mp3プレイヤーの製造を止めることはできなかった。

◇新たな活路を見出す

2007年の終わりまでに、CD売上は2000年のピークから半減し、CDの値段も大幅に下がっていた。iTunesなどの合法的なmp3の電子売上では、その落差はとても埋められなかった。一般のファイル共有者に対する訴訟で負けることはほとんどなかったが、裁判に勝っても焼け石に水の状態だった。

しかし、モリスがユーチューブ上で公開されている音楽に広告がつけられていることに気づいた瞬間、すべてが変わった。モリスははじめ、自分たちが著作権をもったアーティストの楽曲のほとんどを削除した。もちろん、ユーチューブのユーザーたちは怒り狂ったが、一方でアーティストたちにとって、これは良いことだった。動画サイトは交渉に応じざるをえなくなり、その結果、モリスたちは広告収入の大部分を受け取ることができるようになった。

なにもないところから数億ドルという利益を生みだしたモリスは、これをきっかけに2009年12月、Vevoという音楽ビデオサービスを開始した。これにより、ミュージックビデオそのものに経済価値が生まれた。例えば、ジャスティン・ビーバーの「ベイビー」の前に流れる30秒のCMは、オークションで料金が決められ、3000万ドル以上の収入を生みだしたという。Vevoは1万人を超えるアーティストの30年分の作品を取り込むことで、見事コストのかかる販促物を高成長の利益源へと変えてみせたのだ。

一読のすすめ

なんといっても、著者の取材が凄まじい。その取材範囲は、アメリカ各地だけにとどまらず、ドイツ、ノルウェー、日本にまで及ぶ。下調べやインタビューにかけた時間のことを考えると、思わず絶句してしまいそうになるほどだ。内容としても、音楽に関するテクノロジーの栄枯盛衰がたくみに描かれており、まさに現代の「教養」としてふさわしい一冊と言えよう。






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