Kokomo Arnold
2009.08.27.Thu.23:17
後の Bluesman にかなりの影響を与えた(と思われる) 「Kokomo Arnold」 ですわ。
彼の曲を聴いていると、どこかで聴いたフレーズや歌詞が沢山出てきます。
代表作の 「Old Original Kokomo Blues」 は、Scrapper Blackwell の 「Kokomo Blues」 の原曲であり、後の Robert Johnson の 「Sweet Home Chicago」 の元となった曲でもある。
もう一つの代表作、「Milk Cow Blues」 は、Son House の 「My Black Mama」 との2曲をヒントに Robert Johnson が 「Milkcow's Calf Blues」 を作ったらしいですわ。
「Terraplane Blues」 も 「Milk Cow Blues」 の影響があるらしいです。
そんでもって Robert Johnson の 「I Believe I'll Dust On My Broom」は 「Sagefield Woman Blues」 の歌詞が引用されてるって事です。
Black Ace も同じく膝の上にギターを乗せてスライドするスタイルですが、歌い方といい音色も Kokomo Arnold からの影響がかなりあるようです。 これについてはまた調べてみよう~。
Kokomo Arnold (本名:James Arnold)
1901年2月15日 Georgia 州 Lovejoy 生まれ
彼は従兄弟の James Wigges( alt. John Wiggs)からギターの基本的なことを習った。
ギターを膝の上に乗せてスライドするスタイルで、左利きだったそうです。
Georgia 州から北上し、 New York 州 Buffaloで農場労働者として働く。
1919年、Pensilvania 州 Pittsburgh に移動し製鋼所の仕事をしながら、副業としてプレイしていたらしい。
1929年、Chicagoへ移動。密造酒&密売人の仕事を始める。これまた副業としてプレイしていたそうで、この頃スカウトされたようです。
1930年、Memphis にて Victor Records に初レコーディング。
「Rainy Night Blues」 「Paddlin' Blues」の2曲。
1933年、禁酒法が廃止され、本業の密造酒&密売人も廃業になったので音楽で生計を立てることを余儀なくされる。
1934年、 Decca Records の専属として1938年まで多数のレコーディングをしています。
1934年「Old Original Kokomo Blues」と「Milk Cow Blues」がダブル・ヒット。
Victor Records では Gitfiddle Jim の名で録音していたが、 Kokomo BluesのヒットでKokomo Arnold と名乗るようになる。
彼は Roosevelt Sykes、Mary Johnson、そして Peetie Wheatstraw などのセッションにも参加しましたが、次第に Decca Records の Mayo Williams と意見が合わなくなり、1938年を最後にレコーディングをやめてしまいます。
1941年には音楽界から身を引いて、製鉄所の仕事に戻りました。
1960年代初頭にリバイバルブームにより再発見されたが、時流に乗ることは出来なかったようです。
1968年11月8日、Chicago にて心臓麻痺で死去。
彼の曲を聴いていると、どこかで聴いたフレーズや歌詞が沢山出てきます。
代表作の 「Old Original Kokomo Blues」 は、Scrapper Blackwell の 「Kokomo Blues」 の原曲であり、後の Robert Johnson の 「Sweet Home Chicago」 の元となった曲でもある。
もう一つの代表作、「Milk Cow Blues」 は、Son House の 「My Black Mama」 との2曲をヒントに Robert Johnson が 「Milkcow's Calf Blues」 を作ったらしいですわ。
「Terraplane Blues」 も 「Milk Cow Blues」 の影響があるらしいです。
そんでもって Robert Johnson の 「I Believe I'll Dust On My Broom」は 「Sagefield Woman Blues」 の歌詞が引用されてるって事です。
Black Ace も同じく膝の上にギターを乗せてスライドするスタイルですが、歌い方といい音色も Kokomo Arnold からの影響がかなりあるようです。 これについてはまた調べてみよう~。
Kokomo Arnold (本名:James Arnold)
1901年2月15日 Georgia 州 Lovejoy 生まれ
彼は従兄弟の James Wigges( alt. John Wiggs)からギターの基本的なことを習った。
ギターを膝の上に乗せてスライドするスタイルで、左利きだったそうです。
Georgia 州から北上し、 New York 州 Buffaloで農場労働者として働く。
1919年、Pensilvania 州 Pittsburgh に移動し製鋼所の仕事をしながら、副業としてプレイしていたらしい。
1929年、Chicagoへ移動。密造酒&密売人の仕事を始める。これまた副業としてプレイしていたそうで、この頃スカウトされたようです。
1930年、Memphis にて Victor Records に初レコーディング。
「Rainy Night Blues」 「Paddlin' Blues」の2曲。
1933年、禁酒法が廃止され、本業の密造酒&密売人も廃業になったので音楽で生計を立てることを余儀なくされる。
1934年、 Decca Records の専属として1938年まで多数のレコーディングをしています。
1934年「Old Original Kokomo Blues」と「Milk Cow Blues」がダブル・ヒット。
Victor Records では Gitfiddle Jim の名で録音していたが、 Kokomo BluesのヒットでKokomo Arnold と名乗るようになる。
彼は Roosevelt Sykes、Mary Johnson、そして Peetie Wheatstraw などのセッションにも参加しましたが、次第に Decca Records の Mayo Williams と意見が合わなくなり、1938年を最後にレコーディングをやめてしまいます。
1941年には音楽界から身を引いて、製鉄所の仕事に戻りました。
1960年代初頭にリバイバルブームにより再発見されたが、時流に乗ることは出来なかったようです。
1968年11月8日、Chicago にて心臓麻痺で死去。
スポンサーサイト
HIDEAWAY 9月 スケジュール
2009.08.23.Sun.18:06

1日 (火) アコースティック (とびいりナイト) 1000円
3日 (木) アコースティック (とびいりナイト) 1000円
4日 (金) おとぎぞうし・ナミエ 1500円
5日 (土) TOKU&Mystery Train・味噌BAND(BLUES) 1500円
6日 (日) 五十一 ~いそいち~ 2500円
7日 (月) BLUES JAM (飛び入りSESSION) 1000円
8日 (火) アコースティック (とびいりナイト) 1000円
10日 (木) アコースティック (とびいりナイト) 1000円
11日 (金) TOKU・山口哲朗 1500円
12日 (土) ウクレレ大集合 (とびいりOK) 1000円
13日 (日) Breath of life (アコースティックソウル) 2500円
14日 (月) BLUES JAM (飛び入りSESSION) 1000円
15日 (火) 伊太地山伝兵衛(Vo.G)&石井康二(Bass) 2500円
17日 (木) アコースティック (とびいりナイト) 1000円
18日 (金) SOUL・BLUES・REGGAE (とびいりナイト) 1000円
19日 (土) Dice 1500円
20日 (日) AKAGI’S Night ヤッシー岡田・芳賀・平野ゆり 1500円
21日 (月) BLUES JAM (飛び入りSESSION) 1000円
22日 (火) TAD MIURA (BLUES) 2000円
25日 (金) 友滝HIKO・TOKU&Jar赤松 1500円
27日 (日) DAN ALL STARS (R&B) 1500円
28日 (月) BLUES JAM (飛び入りSESSION) 1000円
29日 (火) アコースティック (とびいりナイト) 1000円
■ お問い合わせ ■
Live Houes 「HIDEAWAY」 since 1986
〒720-2117
広島県福山市神辺町下御領1383-4
TEL:084-965-0410 FAX:084-966-2290
You can squeeze my lemon ・・・
2009.08.21.Fri.23:16
前回に続き Robert Jhonson の
「Traveling Riverside Blues」 でございます。

Now you can squeeze my lemon 'til the juice
run down my...
(spoken) 'til the juice rune down my leg,
baby, you know what I'm talkin' about
なんともえげつない歌詞ですわ。 流石 Robert 君です。
どんな顔して歌っていたのか知りたいなぁ。(笑)
セリフまで有るって事は、この歌で女を落としてたって事やろね。
Robert 君の歌は全般的にそう言う意味で好きですわ。
(どう言う意味やねん)
ちなみに上の歌詞の和訳でございますが、
「さあ、俺のレモンをギュッと絞ってかまへんでぇ~、
ジュースがこぼれてくるまでな、俺の・・・」
(セリフ) 「ジュースが俺の脚を流れるまでやで、
ベイビー、何言うとるか分るやろ。」
ってな感じでございましょうか。
Robert 君に限った訳じゃないのですが、Blues 自体が
そんな意味合いを含んだ歌が多いので喜ばしい限りで
ございます。
Blues が好きな原因の一つかも知れんなぁ~。
(ほんまかいな・・・。)
「Traveling Riverside Blues」 でございます。

Now you can squeeze my lemon 'til the juice
run down my...
(spoken) 'til the juice rune down my leg,
baby, you know what I'm talkin' about
なんともえげつない歌詞ですわ。 流石 Robert 君です。
どんな顔して歌っていたのか知りたいなぁ。(笑)
セリフまで有るって事は、この歌で女を落としてたって事やろね。
Robert 君の歌は全般的にそう言う意味で好きですわ。
(どう言う意味やねん)
ちなみに上の歌詞の和訳でございますが、
「さあ、俺のレモンをギュッと絞ってかまへんでぇ~、
ジュースがこぼれてくるまでな、俺の・・・」
(セリフ) 「ジュースが俺の脚を流れるまでやで、
ベイビー、何言うとるか分るやろ。」
ってな感じでございましょうか。
Robert 君に限った訳じゃないのですが、Blues 自体が
そんな意味合いを含んだ歌が多いので喜ばしい限りで
ございます。
Blues が好きな原因の一つかも知れんなぁ~。
(ほんまかいな・・・。)
Friars Point って何処やねん?
2009.08.19.Wed.22:56
Robert Jhonson の 「Traveling Riverside Blues」 でございますが、
邦題では 「川辺を旅するブルース」 などとなっております。
しかしながら、内容は人妻を口説く歌だったりして Robert 君らしい
歌じゃないかと思う訳です。
俺的には 「川辺の女を旅するブルース」 って方がシックリきます。
歌詞の中に [ Friars Point ] と言う言葉が出てきますが、最初は
そんなポイント(場所)があったんや~。 と思ってたんやけど、
どうも町らしい? って事で調べたらありましたわ。(笑)
Mississippi 州 Clarksdale の北北西、Mississippi River 沿い
の町でした。そこの Barrelhouse で演奏してたんやろね~。
いや、女を口説いてたんやろ・・・。
大きな地図で見る
邦題では 「川辺を旅するブルース」 などとなっております。
しかしながら、内容は人妻を口説く歌だったりして Robert 君らしい
歌じゃないかと思う訳です。
俺的には 「川辺の女を旅するブルース」 って方がシックリきます。
歌詞の中に [ Friars Point ] と言う言葉が出てきますが、最初は
そんなポイント(場所)があったんや~。 と思ってたんやけど、
どうも町らしい? って事で調べたらありましたわ。(笑)
Mississippi 州 Clarksdale の北北西、Mississippi River 沿い
の町でした。そこの Barrelhouse で演奏してたんやろね~。
いや、女を口説いてたんやろ・・・。
大きな地図で見る
Bluesman 生没年表
2009.08.16.Sun.13:43
Blues をあれこれ聴いてると時代背景がゴチャゴチャになって
訳分からなくなってしまします・・・。(俺だけか)
主な Bluesman (偏見有り)の生没年表を制作してみると、
違った一面が見えてきて面白かったりします。
Robert Johnson と Lightnin' Hopkins って1歳しか違わないのに、
Lightnin'の方が時代が近く感じていたり。
(長生きしてるから当然なんやけど・・。)
注意: Blind Blake 等データが不明な Bluesman などもありますので、
あくまでも目安程度と言う事でみてくださいませ。
生 没 歳 名前
1873 ~ 1958 85 W.C.Handy
1886 ~ 1939 53 "Ma" Rainey
1888 ~ 1949 61 LEADBELLY
1890 ~ 1957 67 Willie Brown
1891 ~ 1934 43 Charley Patton
1893 ~ 1964 71 Bo Carter
1893 ~ 1958 65 Big Bill Bloonzy
1893 ~ 1966 73 Mississippi John Hurt
1894 ~ 1970 76 Lonnie Johnson
1894 ~ 1937 43 Bessie Smith
1895 ~ 1933 38 Blind Blake
1895 ~ 1976 81 Mance Lipscomb
1896 ~ 1972 76 Rev. Gary Davis
1896 ~ 1956 60 Tommy Johnson
1897 ~ 1930 33 Blind Lemon Jefferson
1897 ~ 1949 52 King Solomon Hill
1897 ~ 1973 76 Memphis Minnie
1897 ~ 1983 86 Sam Chatmon
1899 ~ 1965 66 Sonny Boy Williamson ?
1899 ~ 1977 78 Sleepy John Estes
1899 ~ 1982 83 DeFord Bailey
1901 ~ 1959 58 Blind Willie Mctell
1902 ~ 1931 29 Barbeque Bob
1902 ~ 1947 45 Blind Willie Johnson
1902 ~ 1969 67 Skip James
1902 ~ 1988 86 Son House
1903 ~ 1941 38 Blind Boy Fuller
1903 ~ 1962 59 Scrapper Blackwell
1903 ~ 1981 78 Tampa Red
1903 ~ 1982 79 Big Joe Williams
1904 ~ 1972 68 Mississippi Fred McDowell
1905 ~ 1935 30 Leroy Carr
1905 ~ 1950 45 Kansas Joe McCoy
1906 ~ 1977 71 Bukka White
1907 ~ 1972 65 Black Ace
1910 ~ 1975 65 T-Bone Walker
1910 ~ 1976 66 Howlin' Wolf
1911 ~ 1938 27 Robert Johnson
1911 ~ 1986 75 Sonny Terry
1912 ~ 1982 70 Lightnin' Hopkins
1914 ~ 1948 34 Sonny Boy Williamson?
1914 ~ 1980 66 Robert Pete Williams
1915 ~ 1983 68 Muddy Waters
1915 ~ 1992 77 Willie Dixon
1915 ~ Honeyboy Edwards
1915 ~ 2006 91 Robert Junior Lockwood
1917 ~ 1975 58 Hound Dog Taylor
1917 ~ 1981 64 Big Walter Horton
1917 ~ 2001 84 John lee Hooker
1918 ~ 1963 45 Elmore James
1923 ~ 1992 69 Albert King
1924 ~ 1997 73 Jimmy Rogers
1925 ~ B.B.King
1926 ~ 1984 58 Big Mama Thornton
1930 ~ 1968 38 Little Walter
1930 ~ 1970 40 Otis Spann
1930 ~ 1976 46 Freddie King
1934 ~ 1998 64 Junior Wells
1934 ~ Otis Rush
1936 ~ Buddy Guy
1949 ~ Bonnie Raitt
1949 ~ Rory Block
訳分からなくなってしまします・・・。(俺だけか)
主な Bluesman (偏見有り)の生没年表を制作してみると、
違った一面が見えてきて面白かったりします。
Robert Johnson と Lightnin' Hopkins って1歳しか違わないのに、
Lightnin'の方が時代が近く感じていたり。
(長生きしてるから当然なんやけど・・。)
注意: Blind Blake 等データが不明な Bluesman などもありますので、
あくまでも目安程度と言う事でみてくださいませ。
生 没 歳 名前
1873 ~ 1958 85 W.C.Handy
1886 ~ 1939 53 "Ma" Rainey
1888 ~ 1949 61 LEADBELLY
1890 ~ 1957 67 Willie Brown
1891 ~ 1934 43 Charley Patton
1893 ~ 1964 71 Bo Carter
1893 ~ 1958 65 Big Bill Bloonzy
1893 ~ 1966 73 Mississippi John Hurt
1894 ~ 1970 76 Lonnie Johnson
1894 ~ 1937 43 Bessie Smith
1895 ~ 1933 38 Blind Blake
1895 ~ 1976 81 Mance Lipscomb
1896 ~ 1972 76 Rev. Gary Davis
1896 ~ 1956 60 Tommy Johnson
1897 ~ 1930 33 Blind Lemon Jefferson
1897 ~ 1949 52 King Solomon Hill
1897 ~ 1973 76 Memphis Minnie
1897 ~ 1983 86 Sam Chatmon
1899 ~ 1965 66 Sonny Boy Williamson ?
1899 ~ 1977 78 Sleepy John Estes
1899 ~ 1982 83 DeFord Bailey
1901 ~ 1959 58 Blind Willie Mctell
1902 ~ 1931 29 Barbeque Bob
1902 ~ 1947 45 Blind Willie Johnson
1902 ~ 1969 67 Skip James
1902 ~ 1988 86 Son House
1903 ~ 1941 38 Blind Boy Fuller
1903 ~ 1962 59 Scrapper Blackwell
1903 ~ 1981 78 Tampa Red
1903 ~ 1982 79 Big Joe Williams
1904 ~ 1972 68 Mississippi Fred McDowell
1905 ~ 1935 30 Leroy Carr
1905 ~ 1950 45 Kansas Joe McCoy
1906 ~ 1977 71 Bukka White
1907 ~ 1972 65 Black Ace
1910 ~ 1975 65 T-Bone Walker
1910 ~ 1976 66 Howlin' Wolf
1911 ~ 1938 27 Robert Johnson
1911 ~ 1986 75 Sonny Terry
1912 ~ 1982 70 Lightnin' Hopkins
1914 ~ 1948 34 Sonny Boy Williamson?
1914 ~ 1980 66 Robert Pete Williams
1915 ~ 1983 68 Muddy Waters
1915 ~ 1992 77 Willie Dixon
1915 ~ Honeyboy Edwards
1915 ~ 2006 91 Robert Junior Lockwood
1917 ~ 1975 58 Hound Dog Taylor
1917 ~ 1981 64 Big Walter Horton
1917 ~ 2001 84 John lee Hooker
1918 ~ 1963 45 Elmore James
1923 ~ 1992 69 Albert King
1924 ~ 1997 73 Jimmy Rogers
1925 ~ B.B.King
1926 ~ 1984 58 Big Mama Thornton
1930 ~ 1968 38 Little Walter
1930 ~ 1970 40 Otis Spann
1930 ~ 1976 46 Freddie King
1934 ~ 1998 64 Junior Wells
1934 ~ Otis Rush
1936 ~ Buddy Guy
1949 ~ Bonnie Raitt
1949 ~ Rory Block
Bo Carter
2009.08.09.Sun.23:55
Mississippi Sheiks の Chatmon 兄弟の一人、 Bo Carter でございます。
ギターの他にもヴィオリンやマンドリンをこなすマルチ・プレイヤーで、
音楽性はバラエティに富んでおります。
この曲は Delta Blues の臭さが非常に良い感じですわ。
Bo Carter (本名:Armenter Chatmon)
1893年、Mississippi 州 Bolton 生まれ
Mississippi Sheiks 時代はブルースにこだわらないヴァラエティに富んだ音楽性を聴かせたが、ソロでもプリ・ブルース的な感覚を残しつつラグタイムやホウカム調など多彩な演奏で生粋のエンターテイナーぶりを発揮した。一般的にはジャクソン・ブルースに属するが、そういった地域性にとらわれない洒脱な味が魅力だ。録音も28~40年にかけて120曲以上を残しており、人気のほどが窺える。
1964年、Tennessee 州 Memphis にて死去。
ギターの他にもヴィオリンやマンドリンをこなすマルチ・プレイヤーで、
音楽性はバラエティに富んでおります。
この曲は Delta Blues の臭さが非常に良い感じですわ。
Bo Carter (本名:Armenter Chatmon)
1893年、Mississippi 州 Bolton 生まれ
Mississippi Sheiks 時代はブルースにこだわらないヴァラエティに富んだ音楽性を聴かせたが、ソロでもプリ・ブルース的な感覚を残しつつラグタイムやホウカム調など多彩な演奏で生粋のエンターテイナーぶりを発揮した。一般的にはジャクソン・ブルースに属するが、そういった地域性にとらわれない洒脱な味が魅力だ。録音も28~40年にかけて120曲以上を残しており、人気のほどが窺える。
1964年、Tennessee 州 Memphis にて死去。
Blind Willie Mctell
2009.08.01.Sat.22:08
「B & O Blues」 を聴きながら書いてますが・・・。
Bluesman とは思えぬ良い声ですわ。歌い方が上手いって
言ったら語弊があるかな?
正式な和声と演奏方を学んだって話です。
点字で楽譜の読み書きも出来たそうやから古い Bluesman
と チト 違うか・・・?

1901年5月5日 Georgia 州 Thomson 生まれ
(1898年と言う説もある)
生まれた時から片目しか見えなかったが、幼児期にもう片方も
見えなくなり盲目となる。
母親と父親と叔父はギターを弾いていて、Buddy Moss、Barbecue
Bob、Charley Lincoln(Bobの兄)は遠縁の親戚だそうです。
父親は彼が生まれてすぐに母親と離婚したそうで、酒とギャンブル
が原因でしょうか?
1907年、 Statesboroに移る。 最初はハーモニカ、アコーデオンを
演奏していたが、かなりの腕前であった母親の影響かギターを弾き
始め、母親の古くからの友人 Seph Stapleton から手解きを受ける。
10代の頃から旅の一座の一員として演奏活動をしていたようです。
1920年、母親が他界。
1922年、 Georgia 州立の盲人学校に入学。その後、Macon 州立盲学校、
New York、Michegan、さらに North Carolinaの学校にも行っており点字
を含め様々な技術を学ぶ。この頃に正式な和声と演奏を学んだそうです。
1927年10月、Atlanta に移る。Victor と専属契約し、初レコーディング
する。この頃から放浪生活を始める。
1928年、ブラインド・アイヴォリー・ムア(ピアノ)、ブラインド・
ベニー・パリス(ギター)と共にAtlantaにてレコーディング・セッ
ションする。
1929年10月、Columbia に 「Blind Sammie」 という変名でレコーディ
ングを行うようになる。
1934年、Kate という女性と結婚。
1940年、国会図書館用にレコーディング。
1941年 離婚
1956年、Bluseville にレコーディング。
1959年春、ウィリーは発作を起こして、軽い言語障害が生じ、身体が
麻痺状態となった。同年8月に再び発作を起こし、8月12日に入院。
1959年8月19日脳溢血で死去。
Bluesman とは思えぬ良い声ですわ。歌い方が上手いって
言ったら語弊があるかな?
正式な和声と演奏方を学んだって話です。
点字で楽譜の読み書きも出来たそうやから古い Bluesman
と チト 違うか・・・?

1901年5月5日 Georgia 州 Thomson 生まれ
(1898年と言う説もある)
生まれた時から片目しか見えなかったが、幼児期にもう片方も
見えなくなり盲目となる。
母親と父親と叔父はギターを弾いていて、Buddy Moss、Barbecue
Bob、Charley Lincoln(Bobの兄)は遠縁の親戚だそうです。
父親は彼が生まれてすぐに母親と離婚したそうで、酒とギャンブル
が原因でしょうか?
1907年、 Statesboroに移る。 最初はハーモニカ、アコーデオンを
演奏していたが、かなりの腕前であった母親の影響かギターを弾き
始め、母親の古くからの友人 Seph Stapleton から手解きを受ける。
10代の頃から旅の一座の一員として演奏活動をしていたようです。
1920年、母親が他界。
1922年、 Georgia 州立の盲人学校に入学。その後、Macon 州立盲学校、
New York、Michegan、さらに North Carolinaの学校にも行っており点字
を含め様々な技術を学ぶ。この頃に正式な和声と演奏を学んだそうです。
1927年10月、Atlanta に移る。Victor と専属契約し、初レコーディング
する。この頃から放浪生活を始める。
1928年、ブラインド・アイヴォリー・ムア(ピアノ)、ブラインド・
ベニー・パリス(ギター)と共にAtlantaにてレコーディング・セッ
ションする。
1929年10月、Columbia に 「Blind Sammie」 という変名でレコーディ
ングを行うようになる。
1934年、Kate という女性と結婚。
1940年、国会図書館用にレコーディング。
1941年 離婚
1956年、Bluseville にレコーディング。
1959年春、ウィリーは発作を起こして、軽い言語障害が生じ、身体が
麻痺状態となった。同年8月に再び発作を起こし、8月12日に入院。
1959年8月19日脳溢血で死去。