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久しぶりに Ukulele 弾いたがな。

2008.10.29.Wed.23:51
それにしても Ukulele 弾いてへんなぁ。 Guitar は練習するんやけど。
そもそも洒落で初めたってのもあるし、Blues やり出したら低音の無い
Ukulele じゃねぇ・・・。



忘れてますわ、曲。 指盤狭っ! 
最近 Open で Slide ばっか弾いてるし余計そう感じるんやろね。

Soprano Ukulele の音は Ukulele らしくて良いですわ。
コロコロした音は弾いてて気持ちが良いです。

Ukulele Live に向けて少し練習しようかねぇ~。



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Robet Pete Williams

2008.10.26.Sun.23:12
(1966) 題名不明

60年代、アメリカで最も評価されたフォーク・ブルースの才人。



1914年ルイジアナ州ザチャリー生まれ。

50年代中頃に酒場でのケンカに巻き込まれて、襲いかかってきた男を殺してしまう。
終身刑を受けてルイジアナ州のアンゴラ刑務所に入獄。

ルイジアナ大学の民族学者ハリー・オスカーに発見される。
オスター博士の尽力により減刑されて仮出獄。

59年から61年録音ので、芯のある力強い歌を聞ける。
60年代は各地のフェスティヴァルに参加。

80年ルイジアナ州ローズデイルで死去。


Sleepy John Estes

2008.10.24.Fri.21:41
「Sleepy John Estes, John Henry Barbee & Hammie Nixon」



Sleepy John Estes

1904年1月25日 Ripley, Tennessee 生まれ

Tennessee州Ripley郊外の分益小作農家の16人兄弟の7人目として生まれた。
幼い時に友人の投げたものが当たって右眼を失明。
11歳の時、一家はBrownsville近郊に移転。

Estesは、ギターの弾き方を学び、パーティーや行楽で演奏した。
そういった演奏は、しばしば、マンドリン奏者のYank Rachellと共に行なわれた。

1920年代、Estes、Rachell、それに、ハーモニカとジャグ・プレイヤーの
Hammie NixonはMemphisに移動し、道角や公園のジャグ・バンドとして演奏をした。

1929年、Victorと契約し、レコーディング・キャリアを開始した。
2年後、彼とNixonは、Chicagoに移住し、1930年代の間Deccaと契約して
レコーディングを行なった。

1940年から41年の間、Bluebirdでもレコーディングをした。
"Someday, Baby" ("Worried Life Blues"の名でも知られる)は、Bluebirdから
リリースされた彼の最も有名な曲。
最終的にEstesのトレードマークとも言えるナンバーであり、ブルースの
スタンダード・ナンバーになった。

Estesのあだ名は、彼の居眠りをする癖から来ている。
彼は、Tennesseeに戻り、レコーディング・キャリアの第一期を終えた。
Brownsville郊外に住み、働き、たまに、演奏するためにMemphisに旅した。

1950年代初頭、EstesとNixonは、MemphisのSun StudioでSam Phillips
と共にレコーディングをした。
しかし、この時点で、彼はすでに左眼の視力も失っており、
完全に盲目になってしまっていた。

1950年代には、ブルース・シーンから消え、多くのブルース・ファンは、
彼が人知れず亡くなっているものとばかり思っていた。

1962年にEstesは、Brownsvilleで貧乏暮らしをしているのを再発見された。
フォーク・ブルースのファン達による彼のキャリアの再評価が高まったため、
Estesは、2本のドキュメンタリーに出演した。
1962年の"Citizen South, Citizen North"と1963年の"The Blues"である。

彼は、Delmark Recordsともレコーディング契約を結び、1960年代にアルバム
"The Legend of Sleepy John Estes"他を録音した。

定期的にツアーと演奏を行い、コンサートやクラブ、フォークやブルースの
フェスティバルに出演した。

1964年、彼は、Newport Folk Festivalに出演し、その後、American Folk Blues
Festivalと同じ顔ぶれでEuropeに行った。

1969年のNewport Folk Festivalにも出演。
同年、Ann Arbor Blues Festivalでも演奏した。

1970年と73年のSmithsonianのFestival of American Folklifeにも呼ばれ、
その後、ヨーロッパと日本にもツアーをした。

1977年6月5日 没



第9回 S.F.J Report

2008.10.21.Tue.20:35
今回は前日の夜から現地入りしまして、前夜祭って事で
ワイワイやろうかと思った訳やね。

ビール飲んで調子出て来て「泡盛」登場!
グダグダ話して飲んでたら1本空いてしまいました・・・。
寝たのは朝の4時やし。

当然の事ながら機材のセッティングなどお手伝いでけへんし、
当日はほとんど死んでましたがな。





凄い天気も良くて暑いくらいっす。
芝生でゴロゴロしながら心地よい音楽。 最高やね!





今回、常連さんはもちろん初めて出演された方も多くて、
少しづつ大きなイベントになるかも?って感じましたな。





ここ、大浜公園は隣が海で綺麗な砂浜もありますねん。
子供連れで来ても色々と遊べるんよね~。





PM3時頃には酒も抜けて何とか復活!唄わせて頂きました。
気軽にセッションOKなので面白いイベントです。



飲み過ぎ注意やねぇ。


明日は因島でLiveやで~。

2008.10.18.Sat.15:02
第9回 「S.F.J」(シーサイド・フォーク・ジャンボリー)

開催日:2008年10月19日(日)
場所:因島 大浜公園
時間:AM9時頃から夕方



野外で芝生。無料。海の横。屋根もある。
近くにお店なし。飲食持参。

出演予定者
?月の美しゃ+ゼリー
?のぶちゃん
?たつき
?always くにお
?どらみ
?ゆ~すけ
?ロマン柏原
?よいたんぼう
?駄菓子屋ジャクバンド
?エ~コwithフレンズ
?☆真凛
?モンゴル大橋
?アッキー
?タクヤ(和音)
?AIR+☆Loves
?月河

天気が良さそうなので芝生でゴロゴロ出来ます。
ビール飲みながら聴けますよん。よろしく~。

Muddy Waters & Sonny Boy II

2008.10.15.Wed.21:09
これは Good ! 「Got My Mojo Working (1963)」

渋めの「Got My Mojo Working 」やね。



Muddy Waters と Sonny Boy II がええ感じやわ。



YAMAHA FG-151B

2008.10.14.Tue.18:52
知り合いが「弾かないからあげる」って、貰った Guitarでですわ。
30年前の Guitar やね。



ネックめちゃ太いですわ。かまぼこ型。弦高めちゃ高いし。
でも良く鳴るんよね~。合板やけど。

弾かずに置といたんやけど、Slide 練習用に出して来ました。
弦高が高いし Slide Bar がガンガン当たっても気にならないし、
練習に丁度良いですわ。


YAMAHA FG-151B


1978年~1980年製造
top:えぞ松合板
side & back:アフリカン・マホガニー合板
neck:ナトー
fingerboard & bridge :パリサンドル
当時の価格:¥15000

1978年12月オレンジラベルの後期モデル1/2Bモデルが発売。
(末尾に1Bか2Bがつく)
ボディ型のウエスタンが廃止されヤマハ・ドレッドノートになる。
トラストロッドカバーが短い三角形ダークブラウンプラスチックになり
ブリッジとピックガードが若干変更。



木村充揮 × 近藤房之助 Live のお知らせ。

2008.10.10.Fri.22:50
男唄ライブ



月日:2008年11月20日(木)

会場:三原 リージョンプラザ 文化ホール

開場時間:18:30

開演時間:19:00

前売料金:¥4,000
当日料金:¥4,500 (全席自由) 

お問合せ:

チケット発売所
三原リージョンプラザ
総合受付
三原市文化協会
(三原市役所5階) 


お問合せ
三原リージョンプラザ
総合受付
0848-64-7555 
FAX 0848-64-7569

http://mihara-regionplaza.net/hp/pages/cmm/pg_info.aspx?id=info031



楽しみやなぁ~。


Mance Lipscomb

2008.10.06.Mon.23:55
モノトニック・ベースで演奏するけど深いんだなぁ~。



Mance Lipscomb (マンス・リプスカム)

1895年8月9日、テキサス州ナヴァソタ生まれ

Texasの分益小作人で自称・歌手であり、その多岐に渡るレパートリーには、
ストレートなブルースやスピリチュアルなものからシンプルなフォーク・ソングや
童謡まで色々とある。
65歳になるまでレコーディングをしなかった。

1960年、Californiaのフォークロア研究家、Chris StrachwitzとMack McCormickは、Lipscombを、Texas州のNavasotaで発見し、まさにその場でレコーディングをした。
その日Lipscombが歌った殆どの曲は、Mance Lipscombのアルバム"Texas Songster"
に収録された。
そしてデビューとなった本作は、StrachwitzのレーベルArhoolie label からその年の
後半にリリースされた。

彼の音楽活動の殆どをTexas州のBrazos Countyで行なった。
20エーカー程の土地を耕し、週末になると、カントリー・ダンス場や行楽場、ハウス・
パーティーといったところで演奏した。
解放された奴隷でバイオリニストであるLipscombの父は、彼にフィドルの弾き方を教えた。
その後、独学でギターの弾き方を学び、最終的に柔軟に弾けるようになった。

ブルースをプレイするというよりは、LeadbellyやJesse Fullerといった多く
の種類のルーツ・ミュージックをうたう歌手に近い。
こういったタイプの歌手が生き延びたことには、多彩なパフォーマンスに
よるところも大きい。

60年代に、5つのカントリー・ブルースやフォークの曲を、Arhoolieから
リリースし、頻繁にアメリカ中のフォークやブルースのフェスティバル
に出演した。
彼は1枚のアルバムもレコーディングし、1970年に"Trouble in Mind"の
タイトルでReprise Recordsからリリースされた。

彼の膨大な楽曲群や物語、複雑なフィンガー・ピッキング・テクニックは、
追随する若い白人フォーク・アーティスト達に影響を与え、60年代初期に
おけるフォーク・ブルース・ブームの火付け役となった。

Lipscombの人生と音楽は映画にもなった。
60年代~70年代初頭のいくつかのブルースのドキュメンタリー映画に出演。

The Blues (1962年)
The Blues According to Lightnin' Hopkins (1968年)
Blues Like Showers of Rain (1970年)
A Well Spent Life (1971年)
Out of the Black into the Blues (1972年)

といった作品がある。

1974年に音楽活動から引退し、2年後に81歳に亡くなった。
1976年1月30日、テキサス州ナヴァソタにて死去





Big Bill Bloonzy

2008.10.05.Sun.21:22
何とも不思議な Bluesman って感じやね。
多彩なスタイルの演奏で、どれが Big Bill なんやろ?



1893~1898年 ミシシッピ州スコット 生まれ
本名:ウィリアム・リー・ブルーンジィ

兄弟姉妹は全部で17人で、両親は奴隷制度の中で生まれた。
青年になる頃まではアーカンソー州で過ごし、小作人として働きながら、
叔父から歌を教わった。

最初の楽器は葉巻箱を使った手製のフィドル。
14歳になった時には定期的に黒人と白人とを隔離した「トゥー・ウェイ」
ピクニックで演奏をし、時にはギターを時にはマンドリンを弾いていた。

22歳で結婚。その頃農夫になっていたブルーンジィは、1918年に陸軍に
徴収される。1919年まで兵役についた後、アーカンソーにまた戻った。

1920年代のある時点まで小作農を続けるのと同様ブルーズを続けた。
その後、ブルーズが盛んなシカゴへ行き、音楽を専念する決意をする。

当時、クラブでの演奏活動も盛んで「レイス・レコード」市場のために
レコードを吹き込む機会も無数にあり、それは大不況の時代に入っても
変わりがなかった。

シカゴにやって来て間もなく、シカゴ有数の需要の多いミュージシャン
の一人として、もしくは シカゴ・ブルーズ界の先導者の一人として認め
られるようになった。

彼は極めて多作な作詞作曲者であったが(300曲以上)、それとともに数多
くのミュージシャンのセッションの背後で力にもなっていて、彼の組織力
影響と才能を多くのミュージシャンが認めていた。

1920年代から40年代を通じてシカゴで活躍を続けた。
ブルーズ界は依然として活気があり、1945年頃には、エレクトリック・
ギターという新しい要素が付け加えられた。

エレクトリック・ギターは その数年前から使われ、音量増幅する事が
シカゴ・ブルーズで急速に進み、ブルーンジィもこの頃から除々に エ
レクトリック・ギターを使い始めた。

1950年代の初めにブルーンジィは、ヨーロッパへコンサート出演するよう
になり、それを皮切りに何度もヨーロッパを訪れるようになる。
彼の温かみ、社交性、それと まぎれもないカリスマ性が ブルージィに大
勢のファンを惹きつけた。
その頃から、ブルーンジィは伝統的なシカゴ・ブルーズから離れ、"黒人霊歌"
(ニグロ・スピリチュアル)を手がけるようになっていた。

1957年に、ブルーンジィは咽頭癌にかかり、手術を行いその結果、彼は声
を失ってしまう。その後、健康が許す限りギターを引き続けたが、衰えは
急速で、1958年8月14日に この世を去った。


Delta Bluesなかなか弾かれへんわ・・・。

2008.10.03.Fri.23:42
コツコツと練習せなでけへんとは思ってたんやけど、
ほんまに弾けるようになるんかいな?



何が難しいって、リズムやろか?タイミングやろか?
今んとこ Guitar だけ弾けるように練習してるけど、
唄入れたら合わないんだなこれが・・。

気長に練習せなしょうがないッス。(3年計画)



「非常にシンプルで誰でも歌えるように思えますが、
無意識のうちで、黒人奴隷としての過去の記憶をDNAにもち、
実際に「ハラー」を実感あるいは想像できる人たちでないと、
やはりデルタのブルースは歌えない、そんな気がします。」

って、誰かが書いてましたわ・・。


Big Walter Horton

2008.10.01.Wed.23:07
Little Walter の師匠でございます。名前を見たら分かるでしょ。
Big Walter と Little Walter やねんなぁ~。(笑)



1917年4月6日、ミシシッピー州ホーン・レイク生まれ。

5歳の頃からハープを始め、独学でマスターしたらしい。
10歳の時にはメンフィス・ジャグ・バンドとレコーディングを経験したとされている。
その後、マ・レイニー・ショウと共に旅に出たり、南部一帯の多くのブルースマンと活動。
初録音は1939年リトル・バディ・ドイルのセッションでの事といわれている。

1940年にホートンはシカゴへと足を伸ばす。
その後の10年間は、メンフィスとシカゴを行き来しながら、ストリートで演奏し、
日銭を稼ぐ生活をしていた。

50年代にはメンフィス/シカゴを往復しながら両方の土地でレコーディングする機会に恵まれ、
パワフルなハープ・インスト・ナンバーを残す。
その後マディ・ウォーターズやジミー・ロジャースなどのセッションに数多く参加。

高度なテクニックを誇りながらも、ダウンホーム感覚とダイナミックさを兼ね備えた
プレイが魅力。

1981年12月8日 没