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ボイス・トレーニング って・・・。

2008.06.30.Mon.23:15
ボイス・トレーニングのコミュとか見てると、
皆さん真面目に練習してるみたいやね。

少しでも唄が上手くなりたいって事やろな。



Blues 唄うのにボイトレって必要なんやろか?

そのまま唄えば良いような気がするんやけどなぁ~。

飾った声で歌われた日にゃ聴く方が辛いですわ。
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昔のカラオケ(笑)

2008.06.27.Fri.23:43
カラオケってモノに出会ったのは高校の頃やったかな。1979年か?

当時バンドしてたんやけど練習する場所ってのがなかなか無ったんやな。
ドラムしてた奴のおばちゃんがスナックしてて、お店空いてる時に練習しても
良いよって話で時々使わせてもらってたんよ。

成り行きでちょこちょこ飲みに行くようになったんやけど・・・。 
高校でスナック通いってか。

煙草も中学から吸ってるし、パチンコとかも行ってたからなぁ~。
不良ってやつかな?自分じゃ全然普通やったけど・・・。

まぁ、そのスナックにカラオケってのが置いてあったんよね。
「8トラ」ですがな~! 分かるかなぁ?カセットテープのデカイやつ。




「この曲入れて~。」って言ったら、ガシャ!って機械にテープ差し込むんよ。
今みたいに画面に絵が出るんじゃなくて、音だけ流れて歌詞カード見ながら
唄うんだなこれが。

でも当時は凄い新鮮やったな。 こんなに普及するとはね~。

昔の話でございました。


Ragtime guitar ちゅーもんは・・・。

2008.06.25.Wed.23:31
Ragtime guitar ってもんは難しいですな~。

ズッ・チャ、ズッ・チャと低音弾きながら、メロディ入れてくやつですわ。
19世紀末から20世紀初頭にアメリカで大流行した Ragtime Piano を
Bluesman が Guitar に取り入れたって話ですねん。



「Since I've Laid My Burden Down (Glory Glory)」
って曲があるんやけど、今のところそれくらいしか弾けません。

ズッ・チャ、ズッ・チャと低音弾いて高音入れたら Ragtime に
なるんかな? Arpeggio との違いはこれだけなんやろか?
Syncopation させんと Ragtime guitar にならんのか?

って、いろいろと疑問を抱えながら弾いております・・・。
そんでもって、これ弾きながら唄うのは難いですわ。

歌詞を翻訳するんやけど・・・。

2008.06.24.Tue.23:55
Blues の歌詞を翻訳するのに、Yahoo とか Exite の翻訳機使うと日本語
になってないよなぁ。 なんでやろ?




日本語って難しいんやろな。

Blues の歌詞をそのまま訳しても歌にならないんよね~。
英語のニュアンスが分からないといけんし・・・。

訳されてる方の歌詞を見ると、「なるほどねぇ~。」って感心します。
語学堪能な方が訳されているので間違いないと思います。

でも、曲から受ける感じが訳と違う場合が多々ありますわ。
其々感性が違うから音楽は面白いって話もあるしね。

同じ曲でも演る人によって雰囲気が違うし。

それにしても訳すのは難しいなぁ~。

カルロスに呼び出される・・・。

2008.06.23.Mon.18:42
昨晩 Brazilian Station のカルロスに「今、暇?お店に・・・。」って
片言の日本語で電話がかかってきた。

多分、暇だったら今からお店に来いってことやろな?
電話で詳しいこと聞いてもヤヤコシイだけやから、取敢えず自転車乗ってお店へGO!



流石に日曜日の晩やね、お客さんが5人ほど・・・。

おぉ、「Pochiさん」発見!先日 Blues Session して遊んでもらったお方でございます。
ん~。どうも Pochi さん居るから俺を呼んだ訳やね。

って、なことでまたまた Session して遊んでもらいました。
カルロスも遊びたかったらしい。

福山音楽事情などなど話は尽きずAM1:30頃まで遊んでしまいましたとさ。

唄わんといかんね。

2008.06.19.Thu.22:37
やっぱ、日頃から唄わないと声が出なくなるね~。

家で Guitar 弾きながら唄うけど、大きな声では唄えんからなぁ。

たまにはスナックでも行ってカラオケせんといかんな。



スナック ちゅー所が味噌やねん。カラオケボックスじゃあかんな。

ネーちゃんに聴かす為に唄わなあかんやろ。

基本やで。

Harp 吹いてまっせ~。

2008.06.16.Mon.23:42
先週の SFJ に続き Brazilian Station と Harp 吹く機会があって、
誠に良い練習になりました~。

独りでプカプカしてても、いまいちピンとこないしな。



Brazilian Station で Blues Session して帰る時に、お客さんから
「Harp 良かったですよ~。」って言われたのが嬉しかったにゃ~。

俺的には全然イケてないんやけどね。
でも、そう言ってもらえると励みになるよなぁ。

練習練習・・・・。

Brazilian Station の Live Report

2008.06.15.Sun.11:01
2008年6月14日(土)

Brazilian Station にて

みっちゃんが「Live するから良かったら来てね~。」って言ってたんやけど、
誰が出るかが分からぬままお店へ・・・。



「Puka Puka」の皆さんでございました。 地元で精力的に活動しておられます。

もともとPTAのお父さん方が急きょ結成したバンドなのですが、このまま終わる
のも勿体ないってことで活動を続けておられます。

結成当時「プラスパ・ミート」ってブラジルのレストランがあって、そこで初めて
お会いしました。(その時俺は Ukulele してました~。)

最近CDも制作され、図書館で貸出できるそうです。(素晴らしい)




「Brazilian Sisters」で良いのかな? 
みっちゃん(左)、いっちゃん(右)の姉妹でございます。

いっちゃん はピアノ弾き語りで活動してるのかな?(詳細不明)
オリジナル曲も聴かせてもらいました。

流石に姉妹です。顔も似てるけど声も似てます。
ザ・ピーナッツ の曲して欲しいなぁ~。




「めがね~ず」です。
永ちゃん(左)、ゆうじくん(右)と、みっちゃん、いっちゃんです。

ベテランです!永ちゃんは、関東でストリートもしてたり
ピアノも弾けたり歌も上手い。
ゆうじくんは、 Guitar めちゃ上手いです。歌も凄い良い声です。




これは Live 終わってからの1コマ。お客さんのセッション大会でございます。

これが一番楽しかったりして・・・。 お店に行くと遊んでしまいます。




オーナーの カルロス と奥さんの みっちゃん

お世話になってます。

ハーモニカの本

2008.06.12.Thu.22:03
妹尾 隆一郎 ついでに・・・。奥さんの著書でございます。

TanyさんのBlogで紹介されてたのですが、表紙が違うので掲載してみました。



■ Profile ■

妹尾みえ(せのおみえ)

●ライター/企画・編集者
●東京シティガイド(東京観光財団)
●制作チーム <セイムワンプラス> 所属 ※デザイナー、
 カメラマンと組んでのお仕事引き受けます。

音楽(特に国内外ロック、ブラックミュージック)、
旅、占いから、企業・行政の広報誌まで
硬軟使い分け
印刷・WEB両媒体で、広くライター、編集者として活動中。
特にブルースでは、日本で数少ない女性ライターです。

最近では、
わかりやすく、読みやすい文章へのリライトも
数多く手がけています。

気持ちはいつも、必要な人のところに必要な情報を届けたい!

読者、ユーザーの役にたつ、
時代に流されず、
しかも時代にダイナミックに働きかけるモノづくりを
心がけています。

略歴
80年代 (株)ブルース・インターアクションズで単行本を編集。
90年代 タウン誌「朝日タウンボイス」で編集チーフを務める。
1997~2000年『BLUES MARKET』編集長
2002~2007年 All About 東京ガイド
2008年 デジタルメディア研究所、教育CSR会議、地域活性CSRプロジェクトに参加

詳しくはこちら ↓
妹尾みえオフィシャルサイト


素晴らしい奥様でございます・・・。




妹尾 隆一郎

2008.06.10.Tue.23:45
妹尾 隆一郎(せのお・りゅういちろう)

自他共に認める日本におけるブルース・ハーモニカの第一人者。
35年以上、ハーモニカだけを吹き続けている。



別名:ウィーピング・ハープ・セノオ

1949年6月17日 大阪市生まれ。

大阪教育大附属高校池田校舎時代からバンド活動を初める(ベース担当)。
後輩に伊藤銀次がおり、当時ビートルズのコピーバンドで、ベースを弾きながら歌えた人間は少なかったとの証言がある。上京し中央大学商学部に入学。フォークソング研究会に入る。

中大フォー研在籍時、サニー・テリー、ポール・バターフィールド、ミシシッピ・ジョン・ハートなどを知り、ハーモニカに興味を持ち、その後黒人ブルースとハーモニカにのめり込んで行く。

1972年、B.B.キング来日時には前座で出演。

1974年9月、「オフ・ザ・ウォール」を経て「ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ロ-ラーコースター」を結成。同年、久保田麻琴と夕焼け楽団のレコーディングセッションに参加。

1976年8月、現在も名盤の誉れ高い1stアルバム『メッシン・アラウンド』を発表。内田勘太郎、近藤房之助など日本の第一線のブルース・ミュージシャンが結集したこのアルバムは、ブルース・アルバムとしては予想を大きく上回る好セールスを記録。

1977年、2ndアルバム『ブギ・タイム』を発表。渡辺香津美、村上秀一、泉谷しげるなど、1stアルバム同様豪華なミュージシャンたちを迎え好演。自作曲も発表した。

1989年、シカゴからハーモニカ・プレイヤー、シュガー・ブルーを招聘し、全国ツアーをプロデュース。

1995年、ローラーコースター5枚目のCDをPヴァインよりリリース。大好評の教則ビデオ第3弾『ブルース・ハープ・ベーシック・フレージング』がリットー・ミュージックより発売される。

1996年、三重県伊賀上野においてコンサート「伊賀ブルースの乱」のプロデューサーを務め、大好評を博す。新ユニットSeno-Teraにて「ワン・モア・マイル」(マイルストーン)を発表。


1998年、NHK朝の連続ドラマ「やんちゃくれ」のハーモニカ担当。

1999年、元キャロルの内海利勝、元トランザムの西浜哲男らとBlues File結成、エアプレーンよりアルバムデビュー。

2008年現在、西濱哲雄との「てっちゃんせのちゃん」、森園勝敏(ex四人囃子)、塩次伸二(exウエストロード)らとのユニットで精力的に日本をツアーしている。


 以前、「てっちゃんせのちゃん」の Live を見に行ったんやけど、
   その頃は Harp してなかったんよねぇ。

味のある唄と Harp は最高っす!
大阪弁のしゃべくりで笑わせてもらいました。(結構早口)

Live 終わってから一緒に食事して、話を聞かせて頂いたりしたんやけど、
Harp してたらいろいろ訊けたのになぁ。残念!

SFJ Report

2008.06.09.Mon.19:35
第8回 SFJ(シーサイド・フォーク・ジャンボリー)

開催日:2008年6月8日(日)

開催場所:尾道市因島 大浜公園

天気予報じゃ降水確率50%くらいやったんやけど晴れましたな。
最強の晴れ男が居たのかも?



















写真は全て掲載できないので雰囲気だけってことで・・。

野外で演るのは気持ち良いですね~。
朝からビール飲んで芝生でゴロゴロしながら演奏聴いて、
適当に Harp で参加して・・・。

自分が演る時には出来上がってました。
でもそれが又気持ち良いんだなぁ。

主催されました因島の皆様、ありがとうございました。

Bluesman は「歯が命」かも・・・。

2008.06.06.Fri.23:45
不摂生な人生を送ってきたからなぁ~。

奥歯にブリッジしてたけど、その1本も終了~。
只今、通院中~抜けたままの状態ですわ・・・。



まぁ、今更どうのこうの言ってもしょうがないんやけどな。

困ったことに、唄うと変やねん!しゃべりも変やし・・・。
馴れると思ったけどその気配もないしなぁ。

何かで塞がないと息が漏れますわ。

ガムテープでも貼っとくか・・・。


昭和歌謡なんぞ観てみる。

2008.06.05.Thu.23:52
You Tube を見てたら「昭和歌謡」をついつい見てまいました。

昭和生まれやねんけど昭和の歌謡曲って詳しくないんよね。
まぁ、耳に入ってくるから全く知らない訳じゃないんやけど。



今頃になって古い動画見て、「そういやこんな歌手居ったわ」
「名前聞いたことあるわ」と、新鮮な感じで観れますねん。

昔、見て聴いてた方々は「懐かしい~」って思うんやろうけど、
俺は始めて観る歌手が多いから結構楽しかったりして・・・。

それにしても唄が上手いね。
下手なら歌手になれなかった時代やろうし。

今時のテレビ出て歌ってる歌手って聴いてられんしな。
それが歌手?ってのがほとんどやね。

でも良いと思って聴く奴もおるんやから、歌手が悪いんじゃなくて
聴く方に問題があるのかも知れんな。



Baby Please Don't Go

2008.06.04.Wed.23:51
Big Joe Williams  「Baby Please Don't Go」 (1963)



何かにつけてパンチを食らわすビッグ・ジョー・ウィリアムズはケンカっぱやい性格から
「ボクサー」の愛称で人々に親しまれた。

生涯を通じて一ヶ所に落ち着くことがなかったといわれる放浪のブルースマン。

友達のブルースマンと張り合って、弦を7本・8本と増やしていって9弦になったらしいです。
(チューニングどんなん? )

この曲は良いよね!「Baby Please Don't Go」
あらゆるミュージシャンがコピってるし、名曲だと思います。

Lightnin' Hopkins のアレンジも好きやねんなぁ~。


シーサイド・フォーク・ジャンボリー

2008.06.03.Tue.23:21
第8回 SFJ(シーサイド・フォーク・ジャンボリー)

開催日:2008年6月8日(日)

開催場所:尾道市因島 大浜公園

開催時間:09:30頃から



出演者の皆様をお知らせします。(敬称略・順不同です)

 城 with べるりん・・・離島の豪農初参戦にござる。
 月の美社・・・・・・・ポコ&チエの夫婦ユニット
 どらみ・・・・・・・・明石のコスプレ女王・SFJじゃ常連です。
 ゆ~すけ・・・・・・・初参戦/路上の虎 楽しみでR~る。
 alwaysくにお・・・・・ご存知alwaysのマスター 素敵です。
 ダディ・こうへい・・・岡山より参加 ブルースいけてます。
 AIR・・・・・・・・・ 三原より参加 精力的に活動中
 SEO-3・・・・・・・・ すきま風・エスタカ・美女ユニットとか
 LEAF・・・・・・・・ 初参戦/女子高校生デュオ 楽しみじゃ~ぁ
 Wind・fan・・・・・・ 地元因島の夫婦ユニット
 ロマン柏原・・・・・ 松永だけど尾道の巨匠 freakの座長  
 しょうくん・・・・・・SingerSong消防団 Folk好き好き
 のぶねこ・・・・・・・色々なユニットで活躍中 snow復活か?
 モンゴル/大橋・・・・ ブルース大好き ウクレレもこなします。
 駄菓子やジャクバンド・・今回はどんなメンバーなんだろう・・
 どらすず・・・・・・・徳島より参戦 拓郎大好き 美声の持ち主
 月河・・・・・・・・・地元因島 吉田/ポコ wiht こば 
 
 ・・・・てところです。

他にも、freakのD・池田 エ~コ TAkU-2 etc  色々多彩ですね。

正式なLIVEと言うよりも、色々混じったり、皆で歌ったりのお祭り気分で
交流を深められたらと思います。

by 曲懲~ォ

Sonny Boy Williamson II

2008.06.01.Sun.23:57
Sonny Boy Williamson II (サニー・ボーイ・ウィリアムスンII)

1899年~1909年?12月5日、ミシシッピ州グレンドーラ生まれ
1965年5月25日、アーカンソー州ヘレナにて死去

本名はアレック・フォードで、ライス・ミラーと呼ばれることが多い。

サニー・ボーイ ?世に負けないくらい才能に恵まれ、神経質なハーモニカ、
ビブラートのかかった独特の歌声、痛烈な歌詞を提供した。



6・7歳頃からハーモニカを吹き始め、1930年頃まで教会音楽だけを演奏していた。

ある時 継父と喧嘩をした事をきっかけに家を飛び出し、アーカンソー州ヘレナに移る頃から
彼の本格的な音楽活動が始まる。

1930年代のヘレナではギターを弾きながらハーモニカを吹き、さらに足でドラムを叩くという、大道芸人スタイルで日銭を稼いでいた。
ミシシッピ州とアーカンソー州を一帯を放浪し、その過程でエルモア・ジェームス、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ロバート・ロックウッド・ジュニアらブルースマンと出会う。
当時彼は、リトル・ボーイ・ブルーという芸名で活動していた。時折 ロビンスヴィルに出かけロバート・ジョンソンとよくセッションをしていたようだ。

1941年11月、アーカンソー州ヘレナのKFFA局で、ロバート・ロックウッド・ジュニアとともにレギュラー出演する「キング・ビスケット・タイム」というAM放送の15分番組が始まった。
彼がサニー・ボーイを名乗り出したのはこの頃であり、番組のスポンサーだったインターステート・グロサリーのオーナー、マックス・ムーアは彼がその名前を使うことを提案したと主張している。
「キング・ビスケット」と言うのは、黒人の間で人気のあったトウモロコシ粉の名前である。
毎日正午になれば、わずか15分ながら生演奏が聴ける。しかも当時のブルース・シーンの先端にいたサニーボーイと相棒のギタリスト、ロバート・ジュニア・ロックウッドの情報が手に入る。
「番組に間に合うように走って帰った」という証言もあるほど、その魅力には想像以上のものがあった。
レコードは出していなかったが、この番組出演により南部一帯で彼の人気は高まっていく。



彼らの宣伝した「ホワイト・コーン・ミール・ミックス」の袋には、ハーモニカを持つ
サニー・ボーイの絵が描かれており、当時人気をうかがわせる。

1951年、ピアニストのウィリー・ラヴらと共にミシシッピのトランペット・レーベルに、
初めてのレコーディングを行う。
エルモア・ジェームスらをバックに、ブギ・ナンバーを中心としたサウンドを披露している。

1955年、シカゴのチェス・レコード傘下のチェッカーと契約。
この頃から拠点も南部からシカゴへ移している。
同年、チェッカーにおける初セッションでレコーディングされた"Don't Start Me To Talkin'"がR&Bチャートの3位を記録する。その後も"Keep It To Yourself" (1956年; 同16位)、"Help Me" (1963年; 同24位)とヒットを生んでいる。
チェッカーのウィリアムソンはトランペット時代よりもぐっとモダンなサウンドとなり、また彼のハーモニカのプレイは、シカゴ・ブルースにおける基本形として、多くの後続プレイヤーに影響を与えた。

1963年、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル出演のため、初めてのヨーロッパ・ツアーを行った。

1964年にも再度同フェスティバルに出演した。この間、イギリスでアニマルズ、ヤードバーズ、ジミー・ペイジとレコーディングを行っている。

1965年5月25日、再びキング・ビスケット・タイムに出演するためヘレナに戻っていたが、心臓発作により他界した。

亡くなった直後にアルバムThe Real Folk Bluesが発表された。