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ハーモニカの本

2008.06.12.Thu.22:03
妹尾 隆一郎 ついでに・・・。奥さんの著書でございます。

TanyさんのBlogで紹介されてたのですが、表紙が違うので掲載してみました。



■ Profile ■

妹尾みえ(せのおみえ)

●ライター/企画・編集者
●東京シティガイド(東京観光財団)
●制作チーム <セイムワンプラス> 所属 ※デザイナー、
 カメラマンと組んでのお仕事引き受けます。

音楽(特に国内外ロック、ブラックミュージック)、
旅、占いから、企業・行政の広報誌まで
硬軟使い分け
印刷・WEB両媒体で、広くライター、編集者として活動中。
特にブルースでは、日本で数少ない女性ライターです。

最近では、
わかりやすく、読みやすい文章へのリライトも
数多く手がけています。

気持ちはいつも、必要な人のところに必要な情報を届けたい!

読者、ユーザーの役にたつ、
時代に流されず、
しかも時代にダイナミックに働きかけるモノづくりを
心がけています。

略歴
80年代 (株)ブルース・インターアクションズで単行本を編集。
90年代 タウン誌「朝日タウンボイス」で編集チーフを務める。
1997~2000年『BLUES MARKET』編集長
2002~2007年 All About 東京ガイド
2008年 デジタルメディア研究所、教育CSR会議、地域活性CSRプロジェクトに参加

詳しくはこちら ↓
妹尾みえオフィシャルサイト


素晴らしい奥様でございます・・・。




Harp の練習って・・・。

2008.05.14.Wed.23:25
Harp の練習って皆どないしてるんやろ?



曲聴きながらするんかな? Harp だけでプカプカしててもいまいちピンとこんのよね。

家の中で練習しても五月蠅いから音量落さんといけんし・・・。
外で吹くのもなかなか出来んしね。

車運転してる時は結構練習になるんやけど、通常はBike乗ってるからなぁ。

こりゃ、上手くならん訳やね。

BYE BYE BIRD

2008.04.09.Wed.23:30
Sonny Boy Williamson II  「BYE BYE BIRD」



1899年12月5日、ミシシッピ州グレンドラ生まれ

サニー・ボーイ・ウィリアムソン?ことライス・ミラーは、6・7歳頃からハーモニカを吹き始め、1930年頃まで教会音楽だけを演奏していた。

ある時 継父と喧嘩をした事をきっかけに家を飛び出し、アーカンソー州ヘレナに移る頃から彼の本格的な音楽活動が始まる。

ロバート・ジョンソンと南部を放浪し、ハウリン・ウルフにハーモニカを教え、ブルースの伝説的ラジオ番組『キング・ビスケット・タイム』のスターとなった、ブルース界でも最も華麗な人物の一人。


この曲好きなんよなぁ。
それにしても Harp くわえて何であんな音出せるんやろ?


Harp ケースを作ってみる

2008.03.26.Wed.23:58
Harpも数があると、まとめて入れる物が要るよなぁ。
と思ってハープケースなるものを色々と見てみたけど、
なかなかコレって物が無いんよね。

代用品でもいいから何かないかと探してみても見つからへんし。
それじゃ作るしかないし・・・。ってことで作りました。

とりあえず7本あるからそれが入ればええやろ。
出来ればコンパクトにしたいなぁ。増えたらまた考えよう。

庶民の味方「¥100均」で発見しましたがな!CDケース!
これと、ネオプレーンもどきのスポンジケース!

スポンジ切ってCDケースに縫うだけで出来上がり。
作業時間1時間ってとこかな。











袋は6ケしかないけど7本入るんよね~。
¥200で作ったにしては結構いいでぇ。

ハーモニカ の歴史

2008.03.23.Sun.01:51
紀元前3000年頃に中国でシェンと呼ばれる自由にビブラートの出来るリードを持った楽器があったそうです。


1821年 ベルリンに住んでいた楽器製造業者の息子。クリスチャン・フリードリッヒ・ブッシュマン当時16歳が、リードオルガンの調律用に15のスチールリードと音室を持った長さ10センチくらいの口で吹く検音道具を作りました。
楽器としては幼稚なものだったのですが、彼自身が演奏して人々に聴かせているうちに「アウラ(AURA)」とか「ムント・エオリーネ」と呼ばれるようになり愛好者も増えていったそうです。

1827年
 南ドイツのトロッシンゲン在住のクリスチャン・メスナーという時計職人(?)が、ウィーンで大流行していたハーモニカに改良を加えマウス・ハープと呼ばれるものを作りました。
やがて事業としてハーモニカの製造を始めました。メスナーのハーモニカが今日のハーモニカの原型になったらしいです。

1857年
マティアス・ホーナーがメスナーなどが企業秘密にしていたハーモニカの製造法をマスターして自分の会社を設立。
カナダに住んでいた従兄に初めて自分で作ったハーモニカを6本商品見本として送り、6ドルを手にしました。これが記念すべきアメリカ大陸への初輸出だったそうです。

1865年
ニューヨークからべナリーという人物がトロッシゲンを訪れてホーナー社と大口の契約を交わす。

1896年
ホーナー社 業界トップの座を占める。

日本にハーモニカが輸出されるようになったのもこの年。