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『私はあなたのニグロではない』

2018.05.22.Tue.19:45
ブルースに関わっている方は是非観ましょう!

「I have a dream」マーティン・ルーサー・キング牧師没後50年

『私はあなたのニグロではない』

第71回英国アカデミー賞、第43回セザール賞(仏アカデミー賞)最優秀ドキュメンタリー映画賞受賞

トランプ政権下のアメリカで、1本の映画が人々の心を動かした。 アメリカ黒人文学を代表する作家、ジェームズ・ボールドウィンの原作を映画化した 『私はあなたのニグロではない』。

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ボールドウィンの盟友であり、30代の若さで暗殺された公民権運動のリーダー、メドガー・エヴァース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング牧師の生き様を追いながら、60年代の公民権運動から現在のブラック・ライブズ・マターに至るまで、連綿と続くアメリカの人種差別と暗殺の歴史に迫る。

オバマ大統領からトランプ大統領に代わり、人種差別発言や白人至上主義による分断を深めるアメリカで、異例の大ヒットを記録した。

かつて差別が当たり前だった時代から、人々はどのように声を上げ、世界を変えていったのかー? 映画のラスト、ボールドウィンが 「差別の終わらせ方」 を語った言葉は、オバマ前大統領やマドンナがスピーチで引用するなど、多くの人々の心を揺さぶり、勇気を与えている。

差別と分断が再び深まってきた現代、今こそ必見の映画だ。

日本語字幕:チオキ真理 字幕監修:柴田元幸

ボールドウィンはこう言ったのです。「向き合っても変わらないこともある。だが向き合わずに変えることはできない」 ―バラク・オバマ (前アメリカ合衆国大統領)

今すぐこの映画を観に行って!傑作。詩的。痛烈。そして刺激的!この映画に取り組んだ全ての人に感謝します。 ボールドウィンに祝福を! ―マドンナ(歌手) 

『私はあなたのニグロではない』このたった90分ほどの簡潔な映画は、10時間分のドキュメンタリーシリーズや分厚い本に匹敵するほどの知識量と衝撃を与えてくれる。-ニューヨーク・タイムズ

5/12(土)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開!





1957年。 フランス・パリで執筆活動をしていたボールドウィンは、故郷アメリカへ戻る決心をする。 パリ中で売られていた新聞に載っていた少女、アメリカ南部シャーロットの高校に黒人として初めて入学するドロシー・カウンツの写真を見たのがきっかけだ。 大勢の白人たちに取り囲まれ、ツバを吐かれ嘲笑されながら登校する15歳のドロシーに、ボールドウィンは強い衝撃を受けた。

「パリで議論している場合ではない。 われわれの仲間は皆責任を果たしている」そして彼は、人種差別の最も激しい地域、アメリカ南部への旅に出る。 公民権運動のリーダーだったメドガー、マルコムX、キング牧師との出会いと別れ。 司法長官ロバート・ケネディとの会談。 ボールドウィンは激動するアメリカ社会の真ん中に立ち、出来事を記録し、各地で講演をし、精力的に動き回る。

そしてボールドウィンは、自身の体験と鋭い洞察力で、母国アメリカの人種差別の歴史とその正体を解き明かしてゆく―。


公式サイト
http://www.magichour.co.jp/iamnotyournegro/








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アフリカン・アメリカン音楽

2018.01.28.Sun.00:11
流れを説明するのがなかなか難しいブラックミュージックでございますが、簡潔に分かり易く説明されてるのを見つけました。 日本を代表する百科事典 『日本大百科全書』(1984~1994刊:全26巻) をベースに、毎月定期で更新されているデジタル版 「百科事典」 でございます。

現、京都市立芸術大学教授である山田陽一氏の解説は、ツボが押さえており分かり易いですね。 流石でございます。 m(__)m

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アフリカン・アメリカン音楽

アメリカ合衆国におけるアフリカ系アメリカ人による音楽の総称。従来使われていたニグロ音楽Negro music(黒人音楽Black music)、アメリカ黒人音楽American Black music、アフロ・アメリカン音楽Afro-American musicという呼称とくらべ、差別性が希薄で、民族的な出自をより明確にした語として、現在では広く用いられている。[山田陽一]

初期の形態

アフリカン・アメリカン音楽のもっとも初期の形態としては、18~19世紀に南部のプランテーション(大土地所有に基づく大規模農園)で労働者たちが農作業に伴って無伴奏で歌ったとされるフィールドハラーfield holler(ハラーは「叫ぶ」の意)とワークソング、そして野外伝道集会でのリングシャウトring shout(輪になって踊りながら叫び歌う)がある。フィールドハラーとワークソングの唱法はブルースの成立に大きな影響を与え、リングシャウトはゴスペル音楽の唱法のもとになった。また、南部の教会では、白人福音伝道者の説教に由来するスピリチュアル(いわゆる黒人霊歌)が歌われていた。[山田陽一]

19世紀末~1930年代
19世紀末ごろには、ミシシッピ川のデルタ地域で、ギターの弾き語りによるカントリー・ブルースが生まれ、セントルイスでは、シンコペーション(切分音(せつぶんおん))を特徴とするピアノ音楽のラグタイムが登場した。また、ゴスペル賛美歌とよばれる新しい音楽が出現したのもこのころである。ゴスペル音楽は、スピリチュアルに似た歌詞をもつが、シンコペーションを強調した、よりアフリカ的なスタイルをとっていた。さらにジャズの歴史も同じころに始まった。初期のジャズには、アフリカ音楽のリズム、ブルースの音階、ヨーロッパ音楽のハーモニーと形式、アメリカのブラスバンドの楽器など、さまざまな音楽的要素の影響がみられた。

1900年代に入ると、街角の福音伝道師の歌唱スタイルに影響を受けたブルースが南部一帯に広まり、1910~1920年代には、ジャズ・バンドの伴奏で女性歌手が歌うクラシック・ブルースが人気を博した。1930年代になると、ラグタイムの影響を受けたピアノ音楽シティ・ブルースがセントルイスを中心に流行し、シカゴではアーバン・ブルースやダウンホーム・ブルースが発展する。ゴスペル音楽に関しては、1900年代にメンフィスのペンテコステ派教会が、説教師による歌いかけと会衆の応唱からなる熱狂的な礼拝のやり方を定めたことにより、その基本的スタイルが確立された。

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1920年代になると、多くの黒人教会が男性のゴスペル・クァルテットを育成しはじめ、1930年代には、ゴスペルを歌う説教師たちとともに、教会外でも頻繁に演奏が行われた。また、ニュー・オーリンズでは、20世紀初頭に、葬儀における行進や街頭パレードのためのバンド音楽からディキシーランド・ジャズが生まれた。その後ジャズは急速に合衆国中へ広がり、ニューヨークでは、ラグタイムをもとにしたストライド・ピアノ奏法が人気を得た。1930年代には、ブルースの影響を受けたピアノ音楽ブギ・ウギがポピュラーになった一方で、ビッグ・バンドによるスウィング・ジャズが全盛をきわめた。[山田陽一]

1940年代~1950年代
1940年代から1950年代にかけて、ボーカル、電気ギター、ハーモニカ、ピアノ、ドラムからなるシカゴ・ブルースによって、ブルースは黄金期を迎える。同じころ、シャウト唱法を特徴とするジャンプ音楽の影響を受け、ブルースのリズムを強調したリズム・アンド・ブルース(R&B)が生まれた。1950年代には、ゴスペルやロックン・ロールの唱法を取り入れたり、ドゥーワップdoo-wopとよばれるコーラス形態のボーカル・グループが数多く結成された結果、R&Bは非常にポピュラーな音楽となり、ロック・ミュージックのルーツともなった。他方、ゴスペル音楽とスピリチュアルは1940年代までに黒人教会における合唱歌として統合され、1950年代になると、ゴスペル・シンガーたちはコンサート・ホールやテレビ番組などに積極的に進出するようになった。ジャズの世界では、1940年代初めに、小規模なバンド編成のなかでコード進行とメロディの展開をより複雑にした、ビ・バップとよばれる革新的な音楽が出現。1950年代にはドライブ感をさらに強め、ゴスペルやブルースの音楽語法を取り込んだハード・バップが支配的となった。[山田陽一]

1960年代以降
1960年代に入ると、ブルース、R&B、ゴスペルの要素をあわせもちながら、より柔らかいサウンドと甘美なメロディを特徴とするソウル・ミュージックの人気が高まった。そのため1970年代にブルースの勢いは衰え始めたが、1980年代になると、若いソウル・ブルース・シンガー(兼ギタリスト)が数多く登場し、ふたたび力を盛り返した。ゴスペルは、1960年代から1970年代にかけて、より複雑なハーモニーと洗練された発声法をもつ現代的な音楽へと変容を遂げ、1980年代以降もR&Bやソウル、ジャズと結びつきながら、根強い人気を保っている。また、1980年代には、韻律のある歌詞を速いスピードで語り唱える、ラップとよばれる新しい歌唱スタイルが出現した。初期のラップの担い手は、ニューヨークに住む十代のアフリカ系アメリカ人たちだったが、1980年代なかばには、合衆国のみならず世界中に急速に広まっていった。

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他方、ハード・バップ以降のジャズは、1950年代終わりごろから、インド古典音楽の要素やモード(旋法)を取り入れるなど、実験的な試みを行っていたが、1960年代に入ると、コードやメロディ、規則的なリズムを捨て去り、無調による自由な即興演奏を基本とするフリー・ジャズが生み出された。その後1970年代には、ジャズとロックが融合し、電子音楽化したフュージョンが現れ、1980年代になると、スウィングやバップの要素からなる主流派ジャズへの回帰が顕著となった。1990年代以降のジャズは、主流派ジャズの流れをくむストレート・アヘッド・ジャズや実験的なフリー・ジャズ、あるいはライブ演奏にコンピュータ・サウンドを組み込んだジャズなど、多様な方向に拡散している。[山田陽一]


『フランク・ティロー著、中嶋恒雄訳『ジャズの歴史』(1993・音楽之友社) ▽S・H・フェルナンド Jr.著、石山淳訳『ヒップホップ・ビーツ』(1996・ブルース・インターアクションズ) ▽悠雅彦著『ジャズ――進化・解体・再生の歴史』(1998・音楽之友社) ▽M・コステロ、D・F・ウォーレス著、佐藤良明監修、岩本正恵訳『ラップという現象』(1998・白水社) ▽シドニー・W・ミンツ著、藤本和子編訳『〈聞書〉アフリカン・アメリカン文化の誕生』(2000・岩波書店) ▽北村崇郎著『ニグロ・スピリチュアル――黒人音楽のみなもと』(2000・みすず書房) ▽アンソニー・ヘイルバット著、中河伸俊他訳『ゴスペル・サウンド』改訂版(2000・ブルース・インターアクションズ) ▽村井康司著『ジャズの明日へ――コンテンポラリー・ジャズの歴史』(2000・河出書房新社) ▽小川洋司著『深い河のかなたへ――黒人霊歌とその背景』(2001・音楽之友社)』








白人労働者階層 その2

2017.04.28.Fri.00:10
以前、アメリカ大統領選挙時にも掲載(こちら)致しましたが、なかなか日本では解り難い人種差別や階級問題でございます。 特に "白人労働階級" につきましては、これまで表立って取り上げられる事が少なかった事柄です。

トランプ大統領になってから色々と取り上げられておりますが、白人労働階級とブルースは切っても切れない関係がありますので、ブルース研究の為に少しでも知るべきではないかと思っております。 今回も 「東洋経済ONLINE」 に興味深い記事があったので転載致します。


『トランプを支持する「負け犬白人」たちの正体』
黒人・ラテン系移民より将来に絶望している
J.D.ヴァンス :投資会社社長 2017年04月27日東洋経済ONLINE

「黒人」「アジア人」「白人」――。民族意識の強いアメリカ社会では、肌の色の違いに基づく分類が大きな意味を持つ。

ただ、白人のすべてが 「WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)」 であるわけではない。 18世紀に移民としてやってきたスコッツ=アイリッシュ系の白人たちは、歴史的に貧困の中に生きてきた労働者階級だ。 奴隷経済時代には日雇い労働者として働き、近年は機械工や工場労働者として生計を立てている。

彼らは、アメリカ社会で“ヒルビリー (田舎者)”と呼ばれている。 こうした白人労働者たちの存在を無視して、トランプ大統領誕生の背景を読み解くことはできない。
アメリカの繁栄から取り残されたヒルビリーの実態とは?『ヒルビリー・エレジー』著者であり、自身もヒルビリー出身ながらイェール大学のロースクールを修了し、現在はシリコンバレーで投資会社の社長を務めるJ.D.ヴァンス氏が語る。

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アメリカでもっとも厭世的なのは「白人労働者階層」

ケンタッキー州東部の丘陵地帯出身の私の家族は、自らを「ヒルビリー」と呼んでいる。 私の故郷は、今まさに貧困のただ中にある。 社会階層間の移動が少ないことに加え、はびこる貧困や薬物依存症などの中で、ここに暮らす白人労働者階層の将来はどこよりも見えにくい。

さまざまな世論調査の結果、アメリカで最も厭世(えんせい)的傾向にある社会集団は、ラテン系移民でも黒人たちでもなく、白人労働者階層だといわれる。

ヒルビリーは、かつてないほど社会的に孤立していて、その状態を次の世代に引き継ごうとしている。 子どもたちが成功するために必要な社会的サポートは軽視され、労働者たちはよりよい機会を求めて新天地を切り開くことをあきらめてしまっている。

こうしたわれわれの現状を語ると、必ずやこう言う人がいる。 「彼らが幸福を感じなくなっているのは、経済的機会がないからだ。仕事に就くチャンスがありさえすれば、生活状態も改善するはずだ」。

私も若い頃は、このように考えていた、いや、こう信じ込もうとしていた時期がある。だが、実際の経済的不安定さに直面してみると、この主張が必ずしも十分でないことがわかるはずだ。

私はイェール大学のロースクールに入学する前の夏、大学のあるコネチカット州ニューヘイブンに引っ越す費用を工面するために、仕事を探していた。 すると、床タイルを扱う中規模の会社を経営する地元の知り合いが、うちで働かないかと誘ってくれた。

床タイルは驚くほど重い。 1枚で1.5キログラムから3キログラム近くもの重さがあり、8枚から12枚のタイルが1つの箱に梱包されている。 私の仕事は、輸送用のパレットにタイルを載せ、出荷の準備をすること。 簡単な仕事とはいえないが、とにかく稼がなければならない私にとって、時給13ドルは魅力的だった。 すぐに心を決め、時間外シフトをできるだけ増やしてもらい、可能なかぎり長時間働くことにした。

10人ほどの作業員がいて、多くはそこで何年も働いていた。 そのひとり、飛行機のパイロットを夢見る青年は、このタイル会社以外でも、フルタイムの仕事に就いていた。時給13ドルなら、独り身の青年が地方の町(それなりのアパートが500ドルで借りられる)で暮らすには、十分な稼ぎになる。

しかも、この会社では定期的に昇給がある。 景気が低迷するなかでも、ここで何年か働き続ければ、少なくとも時給16ドルは稼げるようになる。 年収にして3万2000ドル、つまり、1家族が最低限度の生活を維持できる収入を得られるのである。

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Photo by Shelby Lee Adams


仕事はあるのに、勤勉に働かない人々

ところがその会社は、比較的安定した賃金を約束していたにもかかわらず、倉庫係として長期で働いてくれる人材を確保できないでいた。 私が辞めるときには、ほかにも3人の青年が倉庫係として働いていたが、26歳の私が飛び抜けて年長だった。

ある作業員(ここでは仮にボブと呼ぶ)は、私より数カ月早く倉庫係として採用されていた。 19歳のボブには妊娠中のガールフレンドがいた。 上司は親切にも、ボブのガールフレンドを事務員として迎え入れ、電話の応対を任せることにした。

ところが、ボブとガールフレンドは、まったくひどい働き手だった。 ガールフレンドのほうは、3日に1度の割合で無断欠勤。 「休むときは事前に連絡するように」 と繰り返し注意され、数カ月で辞めていった。

ボブも欠勤の常習者で、1週間に1度は姿を見せない。 しかも、いつも遅刻ばかり。 そのうえ、1日に3回も4回もトイレにこもり、一度こもると30分は戻らない。 その態度があまりに目に余ったので、もうひとりの作業員と私は、よくからかっていた。 ボブがトイレに向かうと、ストップウォッチをセットし、経過時間を確認しては 「35分!」「45分!」「1時間!」 と、倉庫じゅうに響く声で叫んだのである。

結局、ボブも解雇されることになった。 それを知ったボブは、上司の元に走り、「クビだって? おなかの大きいガールフレンドがいると知っているのに?」 と詰め寄った。

だが、辞めていくのはボブだけではなかった。 私が働いていた短い期間に、少なくともさらに2人(そのうちの1人はボブのいとこ)が、辞めさせられるか、自分から辞めていった。

機会の平等について語るときには、ここまでに書いてきたような事実を忘れてはならない。 ノーベル賞を受賞した経済学者たちは、中西部工業地帯の衰退や、白人労働者階層の働き手の減少を心配する。 製造業の拠点が海外に移り、大学を卒業していない若者が中流層の仕事に就くことは難しい、というのが経済学者たちの主張だ。確かにそのとおり。 私も同じ心配をしている。

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Photo by Shelby Lee Adams


社会の衰退を助長する文化

だが、私が皆に知ってほしいのは、それとは別の話である。 産業経済が落ち込むなか、現実の生活で人々に何が起こっているのか。 最悪の状況に、人々はどのように反応しているのか。 社会の衰退を食い止めるのではなく、それをますます助長する文化とはどのようなものなのか。そうしたことである。

タイル会社の倉庫で私が目にした問題は、マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりも、はるかに根が深い。 あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。 よい仕事であっても、長続きしない。 支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。

さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。 つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。そうした姿勢は、現在のアメリカの経済的展望とは別個の問題だといえる。

『ヒルビリー・エレジー』 で焦点をあてたのは、私がよく知っている人たち、すなわちアパラチアに縁のある白人労働者階層である。 しかし私は、そうした人たちのほうが同情に値すると主張したいわけではない。 黒人よりも白人のほうが強い不満を抱いている理由を論じるつもりもない。 読者の皆さんには、人種というレンズを通した歪んだ見方をするのではなく、「貧しい人たちにとって、社会階層や家族がどのような影響を与えるのか」 を理解してほしい。

多くのニュース解説者や評論家にとっては、「ウェルフェアクイーン(福祉の女王)」という用語は、「公的扶助を受けながらも、怠惰な生活をする黒人女性(母親)」という偏ったイメージを呼び起こす。 だが、読者の皆さんはそうした幻影と私の議論とはなんの関係もないことにすぐに気づくだろう。 私は実際に、多くのウェルフェアクイーンを知っている。 隣人にも何人かいるが、全員が白人なのだ。







とある「古本屋の殴り書き」から

2017.03.02.Thu.00:10
徘徊してたらこの様な記事を見つけたので抜粋。 ブルースという音楽からアメリカという国を手探りしているわけでありますが、そうではない日本にお住いの方も、同じような感覚があるのですね。 (同じかどうかは分かりませんが・・) 

だからどうって事は無いのでありますが、あれこれと知る事は必要ではないかと思う訳でございます。 知った上でのブルースってのがブルースのような気もしますが、どうなんでしょうかねぇ~。

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『黒い怒り』(※W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳、未來社、1973年)をもう一度引用してみよう。

「アメリカは、黒人は劣等であり、雑草刈りと水汲みのために生まれているとの仮設を身につけた生活様式、アメリカは民族精神、あるいは国民生活様式を築き上げたのである。 この国土へお新移民(もし白人ならば)はただちに歓迎され、豊富に与えられるもののなかには、彼らが優越感をもって対処することのできる黒人がある、というわけである。

彼らは黒人を嫌い、けなし、また虐待し、搾取するように求められたのである。ヨーロッパ人にとって、この国が何と気前よく見えたであろうかは容易に想像し得るのである。即ち、罪を身代りに負う者がすでに備えつけられている国であったのである」
この点まで理解できれば、われわれはもう一歩先へ進まなければならない。

奴隷制度がそのように白人にも黒人にも、その後長い傷を与え続けている以上、奴隷制度そのものを、もっと実態に即して理解しなければならないだろう。 それも、奴隷制度の存続をめぐる政治的対立とか、奴隷制度の経済的効用とかいったものではもちろんない。 一個の人間が奴隷制度のなかで生まれ、奴隷として働かされ、まだ奴隷制度が全盛だった頃に死んでいったことの意味を、もっと理解しなければいけなのである。

特に第二次世界大戦以降の世界を理解するためにはアメリカの成り立ちを知る必要がある。 稀釈されてはいるがキリスト教→プロテスタンティズム→プラグマティズムが先進国ルールといってよい。 そしてアメリカはサブプライムショック(2007年)とリーマンショック(2008年)で深刻なダメージを受け、9.11テロ以降、以前にも増して暴力的な本性を世界中で露呈している。


 アメリカはインディアンから奪い、そして殺し、黒人の労働力で成り立った国だ。 彼らが正義を声高に叫ぶのは歴史の後ろめたさを払拭するためである。 彼らの論理によればアメリカの残虐非道はすべて正義の名のもとに正当化し得る。もちろん広島・長崎への原爆投下についても。 それが証拠にアメリカは日本の被爆者に対して一度たりとも謝罪をしていない。

 奴隷制度は何も合衆国だけの占有物ではない、という反論もあるだろう。 たしかに中南米のたいていの国にそれはあったし、ヨーロッパ諸国の多くも無関係ではなかった。 しかし国内の奴隷所有勢力が奴隷を開放しようとする勢力と国論を二分して対立し、足かけ5年、両方あわせて60万人の人命を犠牲にするような大戦争に突入した国は、世界のなかでただアメリカ合衆国あるのみである。


 リンカーン自身が奴隷解放者であったわけではない。リンカーンはイギリスの南部支援を防ぐ目的で奴隷制度廃止を訴えたのだ。単なる政治カードであったことは、その後も黒人差別が続いた事実から明らかであろう。有名無実だ。また具体的には黒人を北部の兵隊とする目論見もあった。

 インディアンを虐殺し、黒人をリンチして木に吊るし、そして自国民同士が殺戮(さつりく)を行うことでアメリカはアメリカとなった。アメリカの暴虐はナチスの比ではない。

次はどの国の人々が殺されるのだろうか? それが有色人種であることだけは確かだろう。


などなど、この様な事も踏まえつつブルースなのでございます。 (´Д`)






Gospel Blues

2016.11.10.Thu.00:15
ブルースとは何やねん? って事で、田舎のブルースやら都会のブルースやら日本のブルースやら演ってまいりましたが、最近はゴスペル系に嵌っております。

"Gospel Blues" というカテゴリーはあまり耳にしないと思いますが、Blind Lemon Jefferson、Blind Willie Johnson、Rev. Gary Davis、Rev Pearly Brown など、古くからギター弾き語りで福音を伝道してた訳でございます。 牧師ならそれも分かるのでありますが、牧師でなくても、街角に立ち酒や女ではなく、救済や聖書のことを説けばギター・エヴァンジェリストとして認識してもらえたのかもしれませんね。

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ゴスペル・ブルースの定義としては、ブルース・ベースのゴスペル音楽 (何じゃそりゃ) という形らしいのですが、定番の3コード12小節や、ブルージィなメロディにのせて福音を歌えばゴスペルって事ですな。 とにかく神に捧げる、救済や聖書の内容であればメロディは何でも良いよ~って感じでしょうか。

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実際には、街角でゴスペルだけ演奏していた訳じゃないらしいのですが、何処から何処までがブルースで、何処から何処までがゴスペルなのか。何処から何処までがギター・エヴァンジェリストと言えるのか? などなど無理に線を引かなくても良い様な気も致します。

Son House みたいに、もともとは教会の牧師だったのに、ブルース弾き出して人を殺めて服役したり、ブルースマンがある日ギターを弾くのをやめて、教会で牧師になったりなど、一人の人間の中にどちらも存在するモノや思います。

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そんな感じで、ブルージィな旋律と、神に捧げる歌詞の対照性や、ゴスペル音楽の良さとブルース音楽の良さが融合されているゴスペル・ブルースは嵌りますわ~。 ゴスペル色が強くなるとゴスペルになってしまうので、その辺の割合が微妙と言えば微妙かもしれませんが・・・。  (*_*;